吉澤平吉

陸軍少佐

 

略歴

大正11年 9月19日 埼玉県北埼玉郡下忍村 出身

昭和14年12月  日 陸軍士官学校予科 入学

昭和16年 3月  日 同校卒業 士官候補生隊付勤務 飛行第二十九戦隊

昭和16年 6月  日 陸軍航空士官学校 入校

昭和16年 7月  日 第二十九独立飛行隊に転属

昭和18年 5月  日 陸軍航空士官学校 卒業(五十六期)

昭和18年 6月  日 明野陸軍飛行学校 入校

昭和18年11月  日 調布飛行部隊 部隊所沢へ移動

昭和19年  月  日 東部第一〇七部隊飛行第四十七戦隊、震天制空隊近衛鐘馗戦闘隊

昭和20年 2月10日 群馬県に於て空中戦闘中戦死(享年二十四才)

 

大法寺

東京都武蔵野市

  

勇魂 従六位功四級勲六等 故陸軍少佐吉澤平吉之碑

辞世

君の為 捧げし命の 重からで 只一筋に 宮居護らむ

大君の 御楯とあらば 何惜しまむ 雲染め散なむ 翼なりせば

戦歴

防衛総司令官東久邇宮稔彦王殿下命名の震天制空隊にて昭和十九年来帝都護持の任務を

遂行中 「マリアナ」基地より発進する米空軍の数次に亙る帝都襲来に際し其の都度勇戦B29

二機を撃墜四機を撃破せしが 昭和二十年二月十日B29約九十機関東地方襲来に際し下館

上空に於て其の一機を撃破せしも 自機又被弾損傷せるも毫も之に屈せず更に勇戦奮闘遂に

後続編隊の左外側機に敢然体当りを決行 之を確実に撃墜すると共に梅花に魁けて萬朶の櫻

となり雲染む屍は大空に潔散壮烈なる戦死を遂く 昭和二十年二月二十三日東久邇宮稔彦王

殿下より上記感状を授与せられ二階級特進畏くも陛下のお耳に達し 同じく仏印の空に散華した

兄陸軍大尉吉澤正夫と共に金鵄勲章並に勲六等単光旭日章を賜ふ

碑文

このたび 昭和十六年来 府中市多磨霊園に埋骨されておりました父母兄弟の遺骨を当大法寺

の永代納骨堂に奉移して未来永劫にわたり御供養をいただくことになりました 私達の弟二人は

純粋に忠君愛国の念に燃え殉じましたが 志ならずして敗戦となり数多くのあらゆる面に罹災され

ました皆様の筆舌に尽くせぬ御辛苦に思いを馳せ さぞかし無念の涙に咽んだことと思います

然し身は大空に散華いたしましても霊魂は今なお天空に留まって日本国と国民の皆様の御安泰を

祈り永遠なる平和への礎となっていることと思います 戦後三十八年を経た今日 新に戦死した弟

達が蘇って参りました思いを切実に感じあらためて永遠の平和をひたすらに祈るものでございます

合掌

昭和五十八年二月十日建立 吉澤富子 吉澤満子

 

兄・吉澤正夫陸軍大尉

昭和十五年十二月仏領印度支那派遣第二十一独立飛行隊鈴木部隊付を命ぜられ 勇躍征途に

就き陸軍飛行基地に在りて悪天候を冒し数次に亘り敵陣及援蒋物資爆撃の任務に遂行しつつあ

りしが 昭和十六年三月三十日蒙自方面爆撃を命ぜられ攻撃出動中操縦者阪口久雄中尉と共に

壮烈なる戦士を遂ぐ

 

本土防空

更新日:2005/07/16