緒方醇一

陸軍中佐

 

昭和20年3月17日未明の神戸大空襲では約34,000発の焼夷弾が投下され、神戸市西部の

約65,000棟が全半焼し2,598人が犠牲になった。飛来したB29は307機の内3機が日本側の

反撃で墜落した。

 

伊丹飛行場を発進した陸軍飛行第五十六戦隊・緒方醇一陸軍大尉の戦闘機「飛燕」は、再度山・

大龍寺の上空でB29爆撃機に体当たりし両機は再度山中に墜落した。B29の乗員は9人が死亡

し、生き残った2人は再度山中で警官らに捕まり中部憲兵隊司令部(大阪市)へ移送され、取調後

に大阪陸軍刑務所へ収容され処刑された。

 

平成11年に緒方大尉が所属した陸軍飛行第五十六戦隊々長の古川良治氏が「緒方醇一戦死之

地」碑を建立し、後に「怨親平等(慈悲の心で敵味方なく接する)」という仏教の言葉とともにB29搭

乗員11人の名前も刻銘された。

 

大龍寺

兵庫県神戸市中央区

  

陸軍中佐緒方醇一戦死之地

碑誌

この碑は昭和20年3月17日未明、米空軍B29の編隊による神戸大空襲の際、防空任務にあた

りし第56戦隊・飛行隊長緒方醇一大尉が体当りして墜落し、そのB29の機体の中に小型の日本

戦闘機が交ざっていて緒方大尉「飛燕」が確認された場所であり、平成11年、元第56戦隊長・古

川良治少佐が建てられたものである。

緒方の赫々たる武勲は個人感状授与と共に軍神として全軍に布告されたものである。迎撃戦闘を

目撃された再度山大龍寺・井上仁性住職は「燃えさかる神戸だけが赤々と浮かび、その他は真っ

暗な空と海の方から編隊は隊形を崩すこくなく頭の上を通過していく。B29は一機も落ちない。

神戸の海から六甲の山を悔しく眺めるだけであった。その時、突然閃光と共に一機が飛び散った。

寺から再度山と再度谷にかけて寺の西側に広範囲に散ってきた。撃墜されたB29の機体の中に小

型の日本戦闘機が交ざっていて操縦者が確認された。それが緒方大尉である。壮絶な光景に

何も考えられなかった」と。

 

.       緒方醇一中佐の年譜

.       大正  8年 1月 1日生まれ 熊本県出身

.       昭和12年 陸軍士官学校53期生 入校

.       昭和15年 陸軍航空士官学校 卒業 戦闘 少尉

.       .       明野飛行学校・乙種生終了後、北満・龍鎮の第77戦隊

.       昭和16年 中尉 マレー・ビルマ作戦に参加

.       昭和17年 中・北部マグエ航空撃滅戦

.       昭和18年 大尉 第77戦隊 インド・雲南作戦

.       昭和19年 第56戦隊・飛行隊長 本土防衛作戦

.       昭和20年 3月17日 神戸市再度山上空にて体当り壮烈な戦死(26歳)

.       .       個人感状を受領 二階級特進 陸軍中佐

.       平成19年 3月17日 遺族と共に、陸軍士官学校第53期生等が集い、

.       .       緒方中佐の慰霊を行い、その玉垣などを整備した。

 

緒方醇一中佐が六甲上空にて体当り撃墜したB29機

怨親平等

恨みを忘れ、敵・味方を超え仲良くするようにと教える仏教の言葉である。

緒方中佐の遺した文に「葉隠」についてのものがある。私は佐賀・葉隠の士族出身であり、またこの

碑を建てられた第56戦隊・戦隊長の古川良治少佐も同じく佐賀・葉隠出身。武人、軍人として戦闘

相手を称える精神を踏まえ、緒方中佐が体当りしたB29の11名の米空軍の勇士を探し求め、その

名を記録してこの地に残したいと願い、「陸軍中佐緒方醇一戦死之地」の碑の傍らに建てた。

陸軍士官学校第53期 元57師団参謀 従六位勲五等 陸軍少佐 松本重夫

 

本土防空

更新日:2009/01/18