鹿 島

 

国立環境研究所

茨城県稲敷郡美浦村

  

本部庁舎                                         基地遺構

 

基地施設

 

  

霞ヶ浦畔の水上機スリップ

 

  

桟橋

 

  

カタパルト基礎

 

  

元鹿島海軍航空隊之碑

碑文

この碑は、元日本帝國海軍所属の水上機搭乗員養成基地「鹿島海軍航空隊」があったその一角であり、

当時義務教育を終え又は旧制中学校中途で志願してきた飛行練習生、大学在学中に志願したきた飛行

専修予備学生海軍兵学校出身の飛行学生等、隊内各兵科の支えを受けながら優秀な「パイロット」を育

成していたところである。

昭和十三年五月十一日開隊後、昭和二十年八月十五日の敗戦まで、特に大東亜戦争に突入後は順次

日本本土防衛の体制に移行し、外部からの襲撃を未然に防禦するため、哨戒飛行、索敵飛行、迎撃発進

等果敢に防戦に傾注したものの戦に利あらず、遂には未帰還機あり、空中戦での戦死傷者あり、果ては

特攻隊編成による沖縄周辺に群がる敵艦船に突入戦死、又は地上においても作業中の隊員が機銃掃射

を浴び戦死する等、この鹿島空在隊者だけでも数十名に及ぶ尊い犠牲者を出したのである。

遅れ馳せながら我々生存者一同浄財を集め、救国の精神に燃え散華していった英霊に黙祷を捧げ、ご冥

福を祈ると共にこの事実を後世に伝承すべく、ここに記念碑を建立するものである。

平成11年 5月27日  元鹿島海軍航空隊在隊者一同 有志一同

 

本土防空

更新日:2006/05/13