林 喜重
海軍少佐
林 喜重海軍大尉
昭和20年4月18日、三四三海軍航空隊・戦闘407「天誅隊」隊長の林 喜重海軍大尉(兵69)
は初のB29邀撃に戦果を得ず、同20日の邀撃においても一機も墜とす事が出来なかった。
20日の夜、戦闘301「新撰組」隊長・菅野 直 大尉(兵70)と激論を交わした林 大尉は、
「もし明日も撃墜できないようであったら、俺はもう帰って来ないぞ」と繰り返し、菅野大尉も「林さんがそれ
程まで言われるなら、そうされたらいいでしょう。その代わり、私も落とせなかったら帰って来ない事にしま
します」と言い返したと云う。
翌4月21日、林 大尉は鹿児島県阿久根海岸上空でのB29邀撃戦において一機撃墜を報じたが、自ら
もエンジンに被弾し垂直尾翼の一部を破損した。
林 大尉は遠浅の海面に不時着を試みたが、落下増槽が付いたままでつんのめるよう に突っこみ、その
衝撃で頭を計器盤に打ちつけ頭蓋底骨折で戦死した。
林 大尉の通夜の席で、菅野大尉の顔は痛恨に歪んでいたと云う。
戦闘407「天誅隊」隊長・林 喜重海軍大尉(前列左)
折口浜
鹿児島県阿久根市
故林 少佐戦死の地 碑
碑文
松の梢よ 磯吹く風よ
お前は覚えているか あの雲の彼方に散っていった戦友のことを
心あるなら伝えておくれ
私の故郷鎌倉の海のような 美しいこの折口の浜で
心ゆくまで語ろうではないか と
林 喜重海軍大尉 戦死の地 折口浜
報國寺
神奈川県鎌倉市
海軍少佐 林 喜重之墓
戒名
制空院顯勲喜重居士
更新日:2009/08/30