遠藤幸男・西尾 治
海軍中佐 海軍少尉
遠藤中佐 略歴
大正 4年 9月 9日 山形県東村山郡山辺里町出身
昭和 5年 6月 日 第一期乙種飛行予科練習生(横須賀)
昭和 年 月 日 館山航空隊
昭和 年 月 日 「赤城」乗り組み
昭和 年 月 日 霞ヶ浦航空隊
昭和 年 月 日 大村航空隊
昭和12年 7月 日 「蒼龍」乗り組み
昭和13年 4月 日 中支戦線
昭和14年12月 日 百里原航空隊
昭和18年 1月 日 第251航空隊
昭和18年 5月 日 ラバウル進出
昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃
昭和19年 3月 日 第302航空隊
昭和20年 1月14日 B29編隊を渥美半島上空で迎撃、戦死(享年30歳)
西尾少尉 略歴
大正11年 5月26日 徳島県海部郡出身
昭和16年 6月 日 第十一期乙種飛行予科練習生(土浦)
昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃
昭和 年 月 日 第251航空隊
昭和18年 5月 日 ラバウル進出
昭和18年 7月 日 ブイン・バラレ基地
昭和19年 2月 日 トラック島基地
昭和19年 8月 日 第302航空隊
昭和19年11月 日 遠藤幸男海軍大尉機(月光)の偵察員としてペア
昭和20年 1月14日 B29編隊を渥美半島上空で迎撃、戦死(享年23歳)
昭和20年 1月14日
昭和20年 1月14日14:52、名古屋空襲を終えて遠州灘へ抜けるB29の編隊を、第302空が
厚木から長躯迎撃し遠藤機は豊橋上空にて8機編隊へ突入した。
遠州灘上空で一機撃墜・一機撃破の戦火を挙げたが自らも被弾炎上。遠藤大尉は燃える「月光」
を渥美半島上空まで操り、まず西尾上飛曹を脱出させたが落下傘の紐が尾翼で切断され開傘せ
ず落下・戦死。
遠藤大尉は民家の密集地を避けて山間部で脱出したが、落下傘に火が燃え移りそのまま落下、
この状況を目撃していた地元の対空監視員が現場へ駆けつけたが、大尉の脚は畑にめり込ん
でいて既に意識はなく、トラックで病院に運ばれる途中に絶命した。
戦死後、生前における抜群の戦功に対して、横須賀鎮守府司令長官・塚原海軍中将より表彰状
が、また防衛総司令官・稔彦王より感状が授与された。
遠藤大尉(前列左)と西尾上飛曹(前列右)
神戸地区(墜落地点)
愛知県渥美郡田原町
大東亜戦 故海軍中佐遠藤幸男・故海軍少尉西尾 治 慰霊碑/愛機月光最後の地
碑文
つはものは優し 天翔ぶおのが機に 月の光といふ名をはせつ
空の勇者ここに甦る 四海波永遠に安かれ 空の防人ここに眠る
更新日:2009/08/02