富山大空襲

 

富山県下 空襲の記録

昭和20年 5月24日 伏木港(高岡市)を封鎖するため、B29爆撃機70機が6回に亘り機雷を300個投下

昭和20年 6月 5日 伏木港に投下された機雷解体作業中に爆破、死者20人余

昭和20年 6月16日 新湊町(当時高岡市、現射水市)に機雷投下、死者26人

昭和20年 7月16日 新湊町空襲、死者約20人

昭和20年 月20 富山市北部・岩瀬地区に空襲、死傷者87人

昭和20年 月24 富山市北部・大広田地区に空襲、死傷者若干名

昭和20年 7月26日 富山市豊田本町に模擬原爆投下

.              投下した機体は長崎市に原爆を投下したボックスカーであったとされる。

昭和20年 月27 富山市北部・豊田地区に空襲、死傷者56人

昭和20年 8月 日 午後10時頃、米軍機が富山上空に現れたが過ぎ去った

.              この米軍機は長岡空襲に参加したとされる

昭和20年 8月 日 富山大空襲

富山大空襲

8月 2日 午前0時頃、B29爆撃機174機が来襲。先頭機が照明弾を投下、続いて周辺部から

焼夷弾を投下し火の輪で市街地を囲み逃げ場をなくした。

その後、中心部に焼夷弾や小型爆弾を2時間にわたり投下、市街地の99.5%を焼失した。

死者 2,737人 、負傷者 7,900人、被災人口 109,592人。

 

広島・長崎への原子爆弾を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった。

 

富山城址公園

富山県富山市

戦災復興記念像(天女の像)

碑文

昭和二十年、太平洋戦争は激烈の度を加え、八月二日未明に、富山市は、B29百七十余機の焼夷

爆弾攻撃を受け、市街地は一夜にして焦土と化しました。

約二万五千の世帯、十一万人の市民が罹災し、約八千人が重軽傷を負い、二千七百余人の尊い命

が失われ、まさに壊滅的な状況になりました。

惨憺たる焼土と、絶望の虚脱の中から、富山市民は、平和を渇望し郷土の復興に気力を燃やし、槌音

高く、県都富山の再建に立ち上がりました。

市民の決意と総力の結晶が実を結び、戦災復興の大事業が完成し、今日の近代的都市に生まれ変わ

りました。

 

都市空襲

更新日:2009/11/01