捕虜収容所救援物資輸送機(B29)遭難

 

五ヶ所高原 三秀台

宮崎県西臼杵郡高千穂町

平和祈念碑

碑文

昭和20年8月30日夜半、一機のB29がテニアン基地を飛び立った。折からの濃霧と雨の中を豊後水道から

祖母連山を越えようとしていた超空の要塞は、不幸にも12名の搭乗員を乗せたまま障子岳に接触し、親父山

近くに墜落炎上、全員が死亡した。

福岡県にある連合国軍捕虜収容所へ救援物資を投下する最後の任務途中での事故であった。

また、同じ月7日夕刻、飛行第65戦隊所属の徳 義仁軍曹は夜間航法訓練のため隼機に搭乗して佐賀県

達原基地を飛び立ったまま消息を絶ち、終戦に至った。その年の暮れに同機は、この丘に近い河内の山中で

発見された。

戦後50年が過ぎた今日、この平和を享受する私たちは、かつて日米両国の若者の尊い命が、この地で失わ

れたことを改めて思い、恒久の平和と両国の友好を願い、この碑を建立する。

平成7年8月26日  平和祈念碑建設実行委員会

 

  

平和祈念碑

 

平和祈念碑

 

都市空襲

更新日:2009/08/30