佐世保空襲

 

昭和20年 6月28日 23時58分、B29重爆撃機30機が佐世保上空に飛来、29日未明にかけて

第一波、第二波と息もつかせぬ波状攻撃により、市内の中枢部は完全に灰塵に帰し、文字通りの焼

け野原となった。

死者1,030人、うち261人については未だに身元が判明していない。

 

中央公園

長崎県佐世保市

    

鎮魂慰霊平和祈願之塔

建立由来

第二次世界大戦の終わりに近い昭和二十年六月二十九日未明 佐世保は大空襲を受け

市街の三分の二を焼失した

市民は爆音におびえ 焼夷弾に追われ 業火と煙に逃げまどった 一夜にして家屋財産は

灰燼に帰し 肉親を失い 人々はただ茫然と焼野が原にたちつくした

当時の記録によればその被害は 焼死者一、〇三〇柱 焼失家屋一、二一〇六戸

被災面積一七八万平方メートルにおよぶ

今ここに三十三回忌を迎えるにあたり 犠牲者の鎮魂慰霊のため 永遠の平和を祈願し

佐世保市民のまごころを寄せ合ってこの塔を建立した

昭和五十二年六月二十九日  佐世保空襲犠牲者遺族会 佐世保空襲を語り継ぐ会

 

過ぎ去った三十余年の重い歳月 人柱になったあなたがたの 数知れない命が

限りない安らぎに充たされる日 それは尊い命の土壌の上に生きていることが

うれしくなる そんな争いのない 美しい平和の花を咲かせたときである

歳月 極まりなく流れ また終りなし

憶々 空また空 寂また寂 ここなり いのちなり

今 至心に合掌し 涙しつつ 生命ありし日の御名を書きとどめ 真心こめて

供養を奉ります

 

都市空襲

更新日:2008/03/02