身代り地蔵尊

 

扇町空襲

川崎扇町の一帯は元々は埋立地で、昭和五年頃から石油工場、肥料工場等ができ京浜工業地帯

の中心地だった。そこで働く人のために社員寮が建ち、周辺には商店街や出入りの建設業者の個

人住宅等もができた。

昭和20年7月15日深夜、この地域は集中的に空襲の標的となり、周辺の工場の従業員や住民

の多くが行方不明になった。

 

戦後

戦後になって新しい工場等が建設され始めたが、土木工事のたびに遺骨や遺髪が発掘された。

しかし犠牲者(行方不明者)の数と発掘された遺体の数が一致しないため、昭和57年7月に地

元の関係者や市の有力者等の寄付により「身代り地蔵尊」が建立された。

 

川崎扇町

神奈川県川崎市川崎区

     

身代り地蔵尊

碑文

昭和二十年四月十五日より七月二十六日未明迄 B29による史上最大の空襲に於ける犠牲

者の冥福を祈り 今後の諸安全を祈願してこの地蔵尊を建立するものであります

 

都市空襲

更新日:2002/04/05