上川口空襲

 

上川口小学校

高知県幡多郡大方町

被爆の地碑

碑文

第二次世界大戦の末期 戦局日々我方に不利となった頃 本土決戦にそなえて当上川口国民学校にも

剣山部隊第五第六中隊並びに第二挺進中隊が配備された 昭和二十年七月二十二日午後十一時四十

分頃空襲警報が発令され B29の大編隊が来襲当校を中心に北西から南東にかけ約300メートルにわ

たり爆弾24個を投下した 時に二十三日午前〇時二十分頃であった 新築されたばかりの県下一とい

われた講堂を始め 新築校舎等は木端微塵に粉砕され 校舎のカズラ石は黒岩の畝越に遠く有井川部

落まで落下した その被爆は猛烈を極め学校周辺の土地には直径数米に及ぶ多数の弾痕地を残し 部

落内の家屋は完全なものは見当たらない惨状であった このため学校に当直していた部隊のうち 田中

正一少尉外77名が戦死し 負傷者を病院に搬送中15名が戦死した 又部落住民西内照子 田中厚子

両名も被爆により死亡した 

戦後三十年を経過した今 上川口 郷浦両部落 並に関係者有志相集い 先人の慰霊と悠久の平和を

祈念し この碑を建つ

昭和五十年八月二十日建立

 

都市空襲

更新日:2008/03/02