射程距離内に入った。
11月5日には東海地方上空にも、B29爆撃機が1機現われ偵察を行った。当初の目標は東京都の中島飛行機、
名古屋の三菱重工、北九州の八幡製鉄所であったといわれる。
同年12月13日、B29爆撃機90機による、航空機関係の工場であった三菱発動機大幸工場(現:ナゴヤドーム)
に対する初の本格的空襲が行われた。
昭和20年
昭和20年2月15日には、焼夷弾約2万発が市中心部(千種区)にあった三菱発動機工場の周辺地域に落とされた。
3月12日の夜には、名古屋市の市街地(西区)に対する大規模空襲が行われ、市街地の約5%が焼失したとされる。
3月19日の午前2時頃、B29爆撃機230機(310機との説も有る)による市街地に対する大規模空襲が行われた。
この空襲により一夜にして15万1332人が被災し(死亡826人)、家屋3万9893棟が焼失し、市中心部は焼け野原
となった。
6月 9日には熱田空襲が行われ、愛知時計電機の従業員・動員学徒を中心に約2,000名にのぼる死者をだした。
その後も名古屋市街に対する空襲は行われ、その回数は68回とも云われている。他の大都市と同様に壊滅的に破壊
され、市街地は焦土と化した。
被害概況
(但し、資料により差異有り)
死者 約8,000人、負傷者 約10,000人、罹災者 約520,000人、家屋の被害 約140,000戸
被災地面積 約23%(但し、東区・中区・熱田区では50%超)
終戦後、更地となった名古屋市中心部には、久屋大通・若宮大通が作られた。