松山空襲

 

松山空襲

昭和20年7月26日 23:30、松山市は焼夷弾爆撃を受けた。この空襲によって被災面積479u、

罹災戸数14,300戸、罹災者2,200名、死者・行方不明者259名に達し、市街地の大半は灰燼

に帰した。

 

梅木地蔵尊

愛媛県松山市

  

梅木地蔵尊

 

城山公園

愛媛県松山市

戦災復興記念碑

碑文

昭和十六年に勃発した太平洋戦争により松山市は同二十年七月二十六日午後十一時三十分

焼夷弾爆撃を受けた この空襲によって被災面積479平方メートル 罹災戸数一四、三〇〇戸

罹災者六二、二〇〇名 死者行方不明二五九名に達し 市街地の大半は灰燼に帰した

その後二十余年市民の努力により 全国戦災地にさきがけて復興を遂げ四国における政治経

済文化の中心となり 三十万都市として隆盛をみるにいたった

ここに復興再建にあたり尊い犠牲者の霊に対して敬虔な祈りを捧げ 松山市の発展を祈念して

戦災復興記念事業としてこれを建立する

昭和四十三年五月  松山市長 宇都宮孝平

 

都市空襲

更新日:2008/03/02