桑名空襲

 

桑名空襲は、昭和20年 1月31日に始まり、3月11日、5月17日と続いた。

7月17日 午前 1時30分、B29群の空襲により、市内の約80%が焼失。更に7月24日 午前10時

頃からの攻撃で市内西北部一帯が粉砕された。この両日の空襲で市街地の約90パーセント、全市民

の約70パーセントが罹災した。

死者 416人、行方不明者 51人。

 

貝塚公園

三重県桑名市

桑名空襲慰霊之碑

碑文

太平洋戦争が終結する昭和二十年七月一七日未明、米軍機B29爆撃機九四機が桑名に来襲し、

焼夷弾十数万発を投下した。市民の逃げ惑う様子はさながら阿鼻叫喚の生き地獄であった。

さらに七月二十四日の白昼、B29爆撃機が1トン爆弾八一八発を投下し、これにより多くの尊い命

が奪われた。(面積当りの爆弾投下量は七一一トンで全国一であった)。

この空襲の悲惨さを後世に残すと共に二度とあってはならない戦争の恐ろしさを永きに亘り語り継ぐ

礎として、爆撃を受けた貝塚公園に碑を建立する。

罹災状況

罹災地面積    六九一、二〇〇坪

罹災戸数         六、八三五戸

罹災者数       二八、四四七人

死亡者(身元不明者含む) 六五七人

平成十年七月建立

 

走井山公園

三重県桑名市

殉国碑

碑文

当殉国碑は国難に殉ぜられた桑名市出身の勇士の霊を祀る碑である 碑の胎内には国難毎に区分して

その氏名を銅板に印刷し奉安してある 碑の建立は昭和28年であり当時は独立したとはいえ占領政治

終了直後であったため本碑建立についてその由緒の明記を憚ったのである 

遺族会はこれを遺憾とし会長水谷喜郎氏より建立由来記の建造について進言があった

ここにその建立の由来を記し国難に殉ぜられた勇士の誉れを称えるものである

日清戦役      13柱

日露戦役     127柱

満州事変      21柱

日華事変     133柱

太平洋戦争  1,864柱

市内殉難者 657柱

2,815柱

昭和38年 3月  桑名市長 水谷  昇 誌

 

都市空襲

更新日:2008/03/02