川崎大空襲

 

軍需都市だった川崎市は、昭和17年4月18日の米空母「ホーネット」から発艦したB25による

本土初空襲を皮切りに、約20回に及ぶ空襲に見舞われた。罹災家屋は38,514戸(市全体の

45%)、罹災人口は154,426人(同44%)に及び、死者は768人とも1,520人とも言われ未

だに正確な人数は判明していない。

最大の空襲は昭和20年4月15日のもので、15日夜半から翌16日未明にかけ、約200機の

B29が9,000発の焼夷弾と1,340発の爆弾を投下した。川崎大師、川崎駅、同警察署、同消

防署も炎に包まれ、多数の工場が灰燼に帰し、川崎区の大半が焦土と化した。

この空襲での死者人数は不明だが、川崎市全体の空襲による死者数の大半がこの空襲によ

るものと推定されている。

 

延命寺

神奈川県川崎市川崎区

戦災殉難者の遺体が並べられた境内

 

      

御幸町戦災殉難者慰霊碑            戦災殉難者群霊

銘碑

御幸町戦災殉難者159名の氏名の他、「氏名不明者三十有余名」と刻まれている。

 

都市空襲

更新日:2002/04/05