川西航空機空襲

 

昭和20年 6月22日午前、B29の編隊約60機が川西航空機姫路製作所を爆撃、約一時間にわたる

波状攻撃を仕掛けた。爆撃当時は社員、動員学徒、徴用工など多くの従業員がいた。製作所は全滅の

被害を受け、工場周辺でも民家や道路が破壊され、周辺住民を巻き込んだ人的被害は、死者341名、

重軽傷者350名にのぼった。

 

市民の手記

炎と死体と瓦礫の、まるで生き地獄の様相に一変してしまった。川西工場の建物はへし曲がった鉄骨の

残骸だけとなり、製作中の飛行機は見る影も無く金屑となって飛び散った。

 

JR京口駅

兵庫県姫路市

空爆の碑

碑文

この地は川西航空機姫路製作所跡地である。昭和二〇年六月二二日午前十時三〇分頃、米国B二九

爆撃機九機の空爆により一瞬に焦土、死礫の山と化した。川西航空七四名、周辺住民六七名、等三四

一名の死者、行方不明一〇名、重軽傷三五〇名、罹災者一〇二二〇名の被害を受けた。又同年七月

三日深夜焼夷弾による姫路大空襲により死者一七三名、行方不明四名、重軽傷一六〇名、罹災者四

五一八二名の被害を受け市内が焦土と化した。尚当時の人口は一〇七六四三名であった。私たちは犠

牲者の霊を慰めると共に人名の尊厳と平和を希求し、戦争が地球上からなくなる事を心に念じ平成八年

中核都市指定を記念してこれを建立する。

平成九年三月  城東地区連合自治会

 

都市空襲

更新日:2008/03/02