東村山 B29墜落

 

昭和20年3月10日の東京大空襲で日本に対する都市空襲の成功を確信した米軍は、夜間に低空で照明弾と

時限爆弾を使用するという新しい戦術での実験的空襲を計画した。

 

4月2日の午前2時から4時頃にかけ、B29の大編隊122機は武蔵野の中島飛行機武蔵製作所を目標とし

飛来し、4群に分かれた爆撃飛行群毎に時限信管の設定をずらし、着地爆発による煙で後続機が標的を確認

できなくならないようにし、更に照明弾を投下して後続機が投下目標地点を判断し易いようにした。

 

この空襲では東村山地域にも照明弾と時限爆弾が投下され、久米川・大岱地区で死者3名・負傷者3名・被災

家屋36戸の被害を出した。

 

低空飛行をしていたB29の編隊は対空砲火を受け、1機が炎上して東京都北多摩郡東村山町南秋津の茶畑

墜落。搭載していた爆弾が爆発して茶畑に擂鉢状の大穴があき機体の破片が錯乱した。近隣の民家24軒

が被災し3名が死亡した。

 

別の1機は日本戦闘機の迎撃に遭って火災を起こし、煙を吐きながら青梅まで飛び愛宕山中に墜落、破片が

山麓の吉野街道付近まで散乱した

 

秋津地区

東京都東村山市

B29の墜落地点に地主が建立した平和観音

発願の由来

東村山々会議員として在職中 偶々極度の苦難に遭遇せし時 計らずも同村西宿在徳蔵寺住職より菩薩の御教を聞き

深く発信する処あり 以来ここに日常坐臥観音自在菩薩を守護神として 身に帯し今日迄何等事無きを得 戦時中偶々

此地に於て貴き幾多の人命を損す 茲に人類の永久平和を発願し 在天の英霊を慰め 慈悲を求め本像を発願建立

せし次第なり 散華の英霊 願くば我が意を汲み 安らかに眠り給へ

昭和三十五年七月二日  小俣権次郎

 

東村山ふるさと歴史館

東京都東村山市

東村山市秋津地区に墜落したB29の破片(モーターの一部)

 

東村山市秋津地区に墜落したB29の破片(爆弾の破片、薬莢、期待の破片)

 

青梅市郷土博物館

東京都青梅市

青梅市に墜落したB29のエンジン

 

青梅市に墜落したB29「Filthy FayU」と搭乗員

 

都市空襲

更新日:2011/09/18