花巻空襲

 

昭和20年8月10日、北上市後藤野の岩手飛行場や花巻市街に米軍艦載機グラマン15機が飛来、靄のかかった

状態の中で、午後1時半ごろから500ポンド爆弾等20発以上を投下、市内の各所を機銃掃射した。花巻駅は鉄道

のレールや駅を破壊するために、多くの爆弾が投下され駅や機関車などを爆破。

焼失家屋 673戸、倒壊家屋 61戸、死者 42名、負者 約150名と記録されている。

 

市内北部の似内駅には、鉄道の機能を止めるためにロケット弾が投下され、ちょうど駅に止まっていた電車の3両

目にロケット弾が命中した。また一部のロケット弾がそれて近くの民家を直撃し多くの死傷者が出た。

 

この空襲では、宮沢賢治の生家が焼失し、高村光太郎は炎の中を逃げ惑った。

 

 

藤木神社

岩手県花巻市

爆弾投下塔 平和の誓

 

  

爆弾投下塔 平和の誓                                米軍機の薬莢

 

JR花巻駅

岩手県花巻市

やすらぎの像

 

JR似内駅

岩手県花巻市

平和の祈り

碑文

昭和二十年八月十日 太平洋戦争の末期、米軍の戦闘機による爆撃を受けて、この地で次の五名が

尊い命を失った。

佐々木幸五郎、神田  市郎、及川  総子、佐藤  四郎、細川善次郎

終戦六十周年を記念し、上似内地区民は永久の平和を希求しここに記念碑を建立する。

平成十七年八月十日  上似内振興会

 

都市空襲

更新日:2015/03/21