学童疎開 十六地蔵尊

 

大規模な本土空襲の危機が迫った昭和19年、大阪市立南恩加島国民学校3年生の29名が真光寺に 集団

学童疎開した。

疎開生活が始まって約4ヶ月が経過した昭和20年1月29日午後9時頃、漏電によ り本堂付近から出火した

火災により、逃げ遅れた16名の尊い命が奪われた。空襲を 避けるために遠 い四国の山間に疎開した子供

達に襲いかかった悲劇だった。

 

終戦後間もなく16名の霊を慰めようと当時の貞光町長らが中心となって募金活動を行い、貞光町の町 民や

徳島県内の学校関係者が募金を出し合って同寺の境内に十六地蔵尊が建立され、昭和21年5月29日に

開眼供養が行われた。

地域住民の皆さんは供養会による月命日ごとの清掃・献花など今日に至るまで手厚い供養が続けられ 貞光

小学校の生徒たちの多くも保育所や幼稚園に通う幼い頃から毎年1月29日の法要に参列し、戦争 の犠牲と

なった16名の霊を弔ってきた。

 

南恩加島小学校ではこれまで、毎年16名の命日に合わせて児童たちが千羽鶴を折り真光寺に届けている。

また南恩加島小学校にも慰霊碑をという思いを込め、6年生が中心となって企画した「十六地蔵モニュメント」

の除幕式が平成15年1月29日に行われた。モニュメントは高さ45cmの銅鐸で、台座には16人の遺影と名

前を刻んだ銅板をはめ、中には当日渡された卒業証書が収められた。

更に児童の間で「十六地蔵や貞光町の人に会いたい」との声が上がり、修学旅行先を貞光町に変更して真光

寺を訪ね、法要の後には貞光小学校にも足を延ばし児童同志が交流した。

平成17年1月29日には、南恩加島小学校から貞光小学校に「十六地蔵尊に由来する平和を願う鐘」が寄贈

された。

 

真光寺

徳島県美馬郡貞光町

十六地蔵尊

碑文

為疎開学童頓成菩提也

大阪市南恩加島国民学校眞光寺寮罹災学童名

秋田 為仁 足森 弘幸 足立 武雄 今高 賢治 大河原久夫 大塚 義雄

金嶋 日乗 金本  晃 金本  勉 邱  慶春 城外 明萬 高木 正明

中谷 久義 福永 幸喜 牧田 利明 吉永 英昭

 

    

十六地蔵尊

 

南恩加島小学校

大阪府大阪市大正区

十六地蔵モニュメント

平成15年1月29日除幕

 

   

十六地蔵モニュメント

 

貞光小学校

徳島県美馬郡貞光町

十六地蔵尊に由来する平和を願う鐘(鐘は取り外されている)

平成17年1月29日

大阪府南恩加島小学校寄贈

 

 

「十六地蔵物語−戦争で犠牲になった子どもたち−」

著/原田一美 画/福田庄助 文研出版

あとがき

よかれと思ってしたことが、最悪の結果を招いたこの学童集団疎開。

かわいいわが子がその犠牲となった悲しさと恨み。

それを国策のためという美辞でおおい、不運と言い聞かせて秘かに泣き続ける親たち。

そして、責任の全てを一身に受け止め、黙って批難攻撃の矢面に立つ事しか出来なかった教師や寮母、関係者。

私はその子らの霊に、その親たちの慟哭に、そして教師や寮母たちの無念の思いに、私なりの慰霊の歌を供え、

鎮魂の曲を捧げようと思った。

 

都市空襲

更新日:2008/12/17