武蔵航空工場空襲

 

武蔵航空 吉田工場

山梨県富士吉田市の竜ヶ丘自治会館周辺に武蔵航空吉田工場が建てられ、立川陸軍航空廠の管理下にて

皇国第6023号工場の指定を受け、中島飛行機武蔵製作所の下請を行なっていた。工員と勤労動員の学徒

約2,000人が働き、主に戦闘機と迎撃機「銀河」の翼を生産したり発動機の修理を行なっていた。

 

富士吉田空襲

昭和20年 7月30日、米戦闘機グラマン2機が武蔵航空吉田工場を爆撃、4機が岳麓農工学校を爆撃。

工場では動員学徒は避難し無事だったが工員12名の犠牲者を出した。

8月13日にも空襲があり、農工学校の講堂などに被害がでた。


 

 竜ヶ丘自治会館

山梨県富士吉田市

殉難 碑

碑文

太平洋戦争時、此の地に二万坪の敷地を整地して広大な工場が建ち並び勤労学徒隊を含めて二千余名の

者が航空機の生産に従って居りました。

昭和二十年七月三十日午後一時突如として米軍艦載機数編隊の襲撃を受け一瞬にして十二人の尊い生命

を失いし二十余人の負傷者を出すという惨事に至りました。越えて八月十五日終戦を迎え爾来星霜十有二年

工場跡は一望の水田と変わり世人の記憶も漸く薄れゆこうとするとき元従業員一同亡き友を偲んで記念碑建

立のことを発起しましたところ過去朝夕にねんごろな供養を続けてこられた元社長西山巧記殿の絶大なご協

力と県市当局並びに有志縁故多数の方々の御力添によってここに成就することに為ました。謹んで十二柱の

英霊の御冥福を祈るしだいであります。

昭和三十二年 七月建立

 

都市空襲

更新日:2007/05/26