荒尾空襲

 

荒尾市は、三井系の万田炭鉱・四ッ山炭鉱と同系列の化学工場・軍需工場があり、新興工業都市として発展途上

にあったため隣接の大牟田市と同時に爆撃を受けた。

 

昭和20年6月18日の空襲

午後11時頃、天草方面から北上したB29の編隊60機が、荒尾市南西の有明海沿岸から侵攻、多数ぬ焼夷弾と

ナパーム弾が投下され市街地は瞬時にして紅蓮の炎につつまれ、死者32名、重軽傷者175名を出した

 

昭和20年7月27日の空襲

東京第二陸軍造幣廠が全滅、また四山神社・西原大神宮の社殿が喪失し、死者14名、重軽傷者120名の罹災者

を出した。

 

この二度の空襲で、市街地の大半は焦土と化し壊滅的な被害を受け、荒尾市では約9万坪に亘る878戸が消失、

4,360人が罹災した。

 

8月12日には、平井小学校が機銃掃射を受けた。

 

四山神社

熊本県荒尾市

荒尾空襲慰霊塔

慰霊塔建設記念碑

古来 平和の為の戦いと呼号し 幾多の民衆の血を流した戦争の歴史は 所詮は征服と屈辱のあさましき人間の生きる

姿ではなかったか 国の上に国なく人の上に人なく 支配と隷従に関りなき世こそ 人間の求むる真実である 日本は

過去一世紀に四たび戦い 第二次世界大戦に敗れたが この長い苛烈な戦いの後には世界に四十数国の独立と民族の解

放を齎した それは私達の指向する人の世の姿への前進と言へる 過ぎし悲惨な戦いの犠牲は思い起こすだに泪を誘う

も後世に残した功は高い ここに荒尾市約二千柱の戦没者の御霊を祀る

昭和三十八年九月二十九日  荒尾市長 古閑幹士

 

荒尾空襲慰霊塔

 

都市空襲

更新日:2011/11/27