明石空襲
空襲の記録
昭和20年1月19日
明石への最初の空襲は兵庫県下への最初の本格的空襲でもあり、川崎航空機明石工場が標的とされた。
B29爆撃機63機が川崎航空機明石工場に610発・154トンの爆弾を投下、当時の川崎航空機には全国から
学徒勤労報国隊や女子挺身隊が動員されており、この空襲で263人(内、学徒16名、女子挺身隊8名)の犠牲
者を出した。川崎航空機明石工場の被害は甚大で、発動機・組立工場の38%が損害を受けた。
昭和20年6月9日
午前9時54分、B29爆撃機25機が来襲、500〜100キロ爆弾60個を川崎航空機工場及び明石東部付近に
投下。川崎航空機では殆ど損害がなかったが明石公園に避難した市民269名を含む死者644名、行方不明者
12名、重傷者248名、軽傷者345名、家屋全滅1221戸、半壊634戸、罹災者9,426名に及んだ。
昭和20年6月26日
午前9時51分、500キロ爆弾1個が現在の陸上競技場付近に投下され、死者184名を出した。
昭和20年7月7日
午前0時15分から約1時間にわたり、1,045トンの500ポンド油脂焼夷弾が投下された。市街地は火の海と
なり焦土と化し、367人の犠牲者を出した。
合計
死者・不明 1,560人、負傷者 1,159人
家屋の全焼 11,108棟、半壊 2,614棟
1月19日 | 6月 9日 | 6月22日 | 6月26日 | 7月 7日 | 7月28日 | 計 | |
攻撃機数 | 62 | 24 | 26 | 21 | 124 | 3 | 260 |
投下爆弾 | 154 | 144 | 155 | 184 | 2 | 639 | |
〃焼夷弾 | 975 | 975 | |||||
計 | 154 | 144 | 155 | 184 | 975 | 2 | 1,614 |
死 者 | 327 | 656 | 61 | 149 | 367 | 1,560 | |
重軽傷者 | 141 | 600 | 21 | 207 | 190 | 1,159 | |
全壊戸数 | 274 | 1,227 | 175 | 357 | 9,075 | 11,108 | |
半壊戸数 | 410 | 634 | 373 | 1,093 | 104 | 2,614 | |
計 | 684 | 1,861 | 548 | 1,450 | 9,179 | 0 | 13,722 |
罹災者数 | 3,355 | 9,458 | 1,364 | 6,384 | 36,410 | 56,971 |
明石公園
兵庫県明石市
明石空襲之碑
川崎重工業 明石工場
兵庫県明石市
みがわり地蔵
記
昭和二十一年一月十九日、六月九日の空襲により かけがえのない青春を散らした動員学徒及び一般従業員の
霊を慰めるため ここに地蔵尊を建立し坂上寺住職藪地良道師によって入魂す 合掌
昭和四十八年八月一日
大聖寺
兵庫県明石市
戦災死者之精霊
碑文
昭和二十一年春彼岸 明石市建立
十方法界慰霊 納骨廟
碑文
資太平洋戦争戦犠牲諸精霊追善菩提
昭和三十四年十三回忌之聖日建立 三國寺日成代
川崎航空機工業株式会社 建立
太平洋戦争明石市被爆犠牲者慰霊塔
山陽電気鉄道・西新町駅北側
兵庫県明石市
山陽電気鉄道 空爆犠牲者之碑
空爆犠牲者に捧げる
一九四五年六月九日九時五十四分 米軍B29爆撃機が明石上空に来襲、市街に猛爆撃を浴びせ、当地一帯は
瓦礫の山と化して壊滅した。
このとき明石車両工場では、戦時下の輸送確保の使命をうけ、身を挺して働いていた三十一名の尊い生命が一瞬
にして失われ悲惨な爆死を遂げられた。
時は流れて三三年、平和な日々を送るなかで戦禍の痕跡もとどめないが、天空に散華した還らぬ御霊を思うと痛
恨の極みである。
犠牲となられた尊い御霊の御冥福を心から祈念するとともに、平和を守ることを固く誓い、これを建立する。
一九百七十八年八月十五日 山陽電気鉄道株式会社、山陽電気鉄道労働組合
林神社
兵庫県明石市
忠魂慰霊塔
左側記名
祈冥福 英霊芳名並に戦災者氏名
更新日:2011/10/09