海軍大尉 小灘利春
ワシントン海軍博物館にある回天
平成10年 1月30日
米国の首都ワシントンに海軍工廠があり、その一部が海軍博物館になっている。
以前その広い芝生の庭に戦艦大和の四六糎主砲の砲身と並んで、日本の大型人間魚雷が置かれていた。
これが回天U型であるとした図書、雑誌の記述があったが、私は写真上の外観から見るかぎり、回天のW型である
可能性が 高いと考えた。
その後、この人間魚雷が見当たらないとの情報が入ったが、元回天搭乗員の井本武之助氏が平成六年に現地に赴いて
調査し、 同博物館の倉庫の中に移された回天の発見に成功して、写真撮影および採寸を行った。
それによる限り、明らかにこの回天はW型ということになる。
言うとおりのU型であるか、それ亡もW型なのか、結論を出す必要があるので、光海軍工廠にあって回天W型の製作を担当
された 元海軍技術大尉武者広吉氏と面談し、資料をもとに識別をお願いした。
同氏によれば、
@艇体が四カ所で接合されていること、および各部分の寸法から見て、この胴体が付型のものであることは間違いない。
A特眼鏡の前方の波切りがハワイ潜水艦博物館にある回天W型のものより前に延びている。
. また、特眼鏡後方にある二本のパイプの突起がハワイのものよりも大きい。
. 但し、これらが意味のある差異であるかどうかは不明。
B機械室左側にある開口部の数・配置、形状はハワイのW型と同一
. U型は燃料の生産が軌道に乗らないことが判明し 生産中止となってW型に移行した。
. そのあと二〇年四月頃、U型用に計画された主機関「六号機械」が完成し、ロケット燃料(水化ヒドラジン+過酸化水素)
. による試運転に成功した。
Cこのとき使用した胴体は、U型の胴体を既に処分した後であれば、W型のものを利用した可能性がある。
. すなわち、W型の胴体を使ったU型かも知れない。
D現地でU型と言うからには、何らかの根拠があると思われる。しかしながら、やはり内部構造を見た上でなければ決定的
な判定はできない。
とのことである。
回天U型は呉海軍工廠魚雷実験部にて製作し 昭和二〇年六月 二基が完成。試運転まで実施、成功していたが、
終戦後米軍がその二基もろとも本国に持ち去った。 (持って行ったのは一基という説もある)
このU型の胴体を使った回天について、引き続きU型/W型の確認作業を進める必要があると考える。
(参考)
このほか、現在英国海軍潜水艦博物館に大型の回天があるが、内部を靖影した写真からU型と、上記の武者氏が判定された。
米軍が持ち帰った二基(或いは一基)の中の一基ということになるので、ワシントンの回天が、あと一基のU型である可能性は
残っている。
なお英国にあるU型は、所有団体の資金不足のためと言うが、胴体の部分別に、組み立てられないまま屋外、に置いてあり、
展示はもとより 何らの表示もされていない。
日本側の希望があれば返還する意向があるという。
一方、W型の方は、光海軍工廠で製作したものは三基が完成、五基が組立を完了、組立中のもの約一〇基があったが、
終戦前にすべて処分された。
横須賀工廠においても製作し、三基が完成、約一〇基が組立仲であった。
ハワイ・パールハーバーの潜水艦博物館の屋外にある回天W型は横須賀で製造したものと言われ、かつて米国東岸の
コネチカット州ミスチック市にある海洋博物館の屋外に長らく展示されていた。
その頃から既に、胴体の側面を切り開き透明アクリル板の蓋をして、内部が見えるようにしてあった。
この回天は、上記の武者氏が平成二年に現地を訪れ、酸素気蓄器の配列が光で製作したものと同じであることを確認されて、
W型であることがはっきりした。
(ワシントンの回天について調査)
次の事項について速やかに調査を行いたい。
可能なかぎり現地において下記(3)の実物調査を回天関係者により実施することが出来れば.最も信頼できる結果が得られる
と考える。
(1)この回天の来歴を確認
(2)艇体内部の写真、説明文を入手
(3)ハッチを開けて艇体内部に立ち入り、内部構造を調査確認
(この際、艇内前後の隔壁が通行できるのか、開放できるのか、その現状が問題)
ワシントン海軍博物館にある回天
更新日:2007/10/24