海軍大尉 小灘利春

 

平成16年

回天烈士ならびに回天搭載潜没潜水艦乗員追悼式

参列報告

平成17年 2月

 

山口県周南市の大津島に於いて回天戦没者の慰霊祭が昭和三十年以降、毎年開催されており、

回天作戦に参加して戦没した潜水艦八隻の乗員の銘牌が平成三年に回天碑に並んで建設されて以降、

併せて追悼する式典となって毎年十一月の開催が続けられている。

 

本年度は回天特別攻撃隊の初陣「菊水隊」の出撃六十周年に当たり、地元有志による団体「回天顕彰会」の主催によって

前夜祭が山口県周南総合庁舎のホールで開かれた。

回天に因む詩吟と舞踊に続いて海上自衛隊佐世保音楽隊の演奏があった。

行進曲「威風堂々」はか世界の吹奏楽の名曲と「荒城の月」など日本的な叙情の曲が次々と演奏された。

三十人以上の隊員による、各曲目とも流麗で見事な演奏であったが、圧倒的な迫力に満ちていたのは

やはり最後の「行進曲・軍艦」いわゆる軍艦マーチであった。

 

近年は追悼式が毎年十一月の第二日曜日の午後一時三十分から大津島の回天碑の前で挙行されており、

本年は十一月十四日の開催であった。

そのころ天候が安定せず、当日の朝方は雨であった。

式場で全員が着席し、いよいよ開式という時刻に突然陽光が射し始め、張ってあった天幕を急遽撤去した上での

開始となった。

慰霊飛行の各編隊も青空に輝いて頭上を通り過ぎた。

そして式典終了と同時に満天の雲となり、やがて雨となった。

天の配慮か、単なる偶然とは思えない恵みの天気であった。

 

御遺族の参加は北海道から九州までの三四人であった。

戦没者よりかなり年下の弟妹や甥姪の参加が中心となってきたのは、高齢化が進むなか自然の成り行きであろう。

そのなかで回天轟隊伊三六潜の先任搭乗員故・池淵信夫少佐の夫人が例年どおり出席された。

同少佐は特攻訓練中に正式に結婚されていた。

私は特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会を代表、また全国回天会会長として、最前列の来賓席を与えられて参列した。 

 

山口県知事、周南市長、市議会議長、参議院議員、呉地方総監の追悼のことばがあり、

続いで御遺族から始まる献花があった。

 

回天初出撃の菊水隊の攻撃により西カロリン諸島ウルシー泊地で撃沈された米海軍油送艦ミシシネワの戦友会から

寄せられた長文の懇篤なメッセージが読み上げられた。

「回天特攻の真実の探求を通じて互に理解し、日米双方関係者の心は結びついたが、今後も戦中にあった特攻の

事実に対する理解を一層深め、将来の世代に継承して、すべての人々との問に友情と平和を育んでゆきたい」

と同戦友会は切望している。

 

周南市の青年有志による恒例の「大徳山太鼓・回天」はいつもながら胸を打つ。

その真撃な演奏に耳を傾けると、往時多くの搭乗員たちがこの基地から出撃してゆく顔や姿が眼前に

浮かぶ思いである。

 

回天顕彰会には近在の自衛隊OBほか有志の加入があり、本慰霊行事が地元に支えられて今後とも

長く続くものと期待される。

明平成十七年度は十一月十三日(日曜)の開催予定である。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/17