海軍大尉 小灘利春

 

平成 8年

回天烈士ならびに回天搭載潜没潜水艦乗員追悼式

平成 9年 2月

 

柔らかい秋の陽射しのもと11月10日、大戦中戦没した回天搭乗員一〇六名はか隊員、並びに回天を搭載し戦場に赴いて

還らなかった潜水艦八隻の乗員八一〇名を追悼する式典が、徳山市大津島に於いて例年どおり厳粛に執り行われた。

御遺族多数と、県市ほか各種自治体、団体会社の代表、地元有志、海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊など約四百人が

徳山から片道四〇分のフェリーで海を渡って、大津馬の丘に徳山湾を背景にして立つ回天碑の前に参集した。

戦没者御遺族のなかに、世代の交代も伴って新規に参加される方が増えていたことは嬉しい現象であった。

有志の若い人々が演奏する、恒例となった「大徳山太鼓・回天」 の勇壮且つ清冽な太鼓の響きが島にこだました。

かの急迫した戦局にあって、国を思い、民族を思い、愛する人々を護るため、進んで吾が生命を捧げた大いなる愛の若人たちの

姿が、面影が次々とまぶたに浮かんで来る。

この場所にふさわしい、実に素晴らしい演奏であった。

周防灘に面した旧魚雷発射場を保存する昨年来の工事は既に完成していた。

全体が綺麗になり、足場も良くなったので、途中の長いトンネルが照明など整備されたのと相俟って、歩きやすくなっている。

 

発射場の前に広がる海面は、かの戦中、回天の搭乗員たちが挟水道通過訓練や洋上航行艦の襲撃訓練を毎日行っていた

水域である。

また、沖縄への特攻出撃を待つ戦艦大和、巡洋艦矢矧と駆逐艦部隊が20年4月上旬に勢揃いした海面でもあった。

回天を操縦して通過する搭乗員はコースを心待ち大和に近寄せ、かの巨大手な戦艦を潜望鏡を通して眺めたものである。

瀬戸内の穏やかな風光ながら回天隊員たちにとっては鮮烈な印象が今なお残る眺めなのである。

 

大津島を訪れて、この発射場跡を現実に踏む人々は、海上遥に豊後水道を望めば、回天を搭載した潜水艦が南溟を目指して

出撃してゆく光景が幻となって浮かんで来ることであろう。

 

回天隊発祥の地、大津島の東の山口県光市に当時第二特攻戦隊の本部があり、回天搭乗員も最も多くいた訓練基地であった。

その光基地の跡に戦後五一年を経た本年、光から出撃した回天と潜水艦の戦没隊員、乗員を慰霊する立派な「回天の碑」が

地元有志の御努力により建立され、10月10日に盛大な除幕式が行われた。

これで瀬戸内海西部の四ヵ所にあった回天の訓練基地の全てに慰霊碑が揃ったことになる。

戦没特攻戟士たちに御厚意を寄せられる多くの人々とともに、御魂の平安を心から折念する次第である

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/30