海軍大尉 小灘利春

 

麦が浦の回天

平成14年11月 1日 

 

現在は国内に存在しない回天一型改−の完備品が八基、愛媛県南宇和郡西海町の南側の海中に

今も残っていると見られる。その事情は次のとおり。

 

1)第二一突撃隊第十一回天隊の回天八基は昭和二十年八月、宿毛湾の麦ガ浦基地に配備されたが、

. 間もなく終戦となり、九月頃米軍の命令によってその立会いのもとに、佐伯海軍防傭隊所属の第四曳船

. および西海町の漁民により麦ガ浦基地国天壕前面の宿毛湾海中に沈められた。

. その地点は当時宿毛に在った第二一突撃隊主計長および作業従事者の証言から概ね判明しており、水深約100メートル。

 

2)その後の状況については、西海町役場その他によれば回天は引き揚げられた様子はなく、

. また専門家によればこの水深では隠密裡に引き揚げることは不可能であるという。

. 従って、回天八基は今も海中にあると判断される。

 

3)回天の頭部は水密構造であり、この程度の水深では海水は侵入せず、また酸化、腐食の進行は

. 遅いと見られる。

. 若し腐食などにより海水が入った場合も、九八式爆薬は海水に溶けないか、溶けても僅かである。

. この爆薬は安定性が高いので、爆発力が残っていると思われる。

 

4)回天の頭部爆薬は一、五五〇キログラム。八基では一二・四キロトンになる。

. 衝撃信管および電気信管を装着したまま投棄された可能性が高いが、装着した場合も信管には

. 安全装置がかかっている。

. 二空気蓄器には二二五k/p2の高圧純粋酸素が充填されており、各基二本、合計では十六本になる。

. 一空気奮器は一五〇kg/p3の高圧普通空気が収まり、各基六本を装傭、合計四八本になる。

 

人間魚雷「回天一型改一」の実物は、日本では米国から貸与中の一基が靖国神社の遊就館に収められている

のみである。

しかし、胴体および訓練用頭部が実物であるだけで、完備品ではない。

この国に実物の回天が残っていない以上、存在の可能性があるかぎりは調査、捜索して確認の上、

発見できた段階では地上に於いてその姿が永久に保存されることが望ましい。

 

付記

○上記と概ね同文の文書を防衛庁海幕運用課訓練班へ9179出頭して提出し、現地調査を依頼したが、

動きがなかった。「危険物としての処分になるか」という。

 

○麦ガ浦に投棄された回天は、上記西海町役場吏員のほか付近在住の漁民は引き揚げられた気配が

全くないと語っている。

また日本サルベージ(株)の専門技術者によれば、この地形、水深では素人の引揚げは不可能と言う。

 

○日本冒険クラブ代表立原弘氏が91年遠隔操作の水中テレビカメラを使用して現地調査を行ったが、

経費の面から長い日数をかけての捜索が出来なかった。

そのビデオ映像には回天本体または部品らしき物が写っておらず、回天発見には至らなかった。

同氏は、回天の海中投棄にあたって漁船に乗り、回天の曳航、注水に従事した作業員の一人に会って

当時の状況は詳しく聞いている。

当人は付近に住む漁民であり、その作業のために腰を痛め、現在は起居が不自由であるが、

記憶はしっかりしているという。

しかし、このときの調査は捜索海面の場所が間違っていた。

なお、その漁民は「回天投棄作業中に爆発が起こり背骨を痛めた」というが、海面が盛り上がるほどでは

なかったという。

従って大規模な爆発ではなく、気蓄器の破裂程度と思われる。

たとえ大きいとしても米軍が投下した磁気機雷であろう。

 

○故・藤井仲之氏(兵学校72期、戦後海自潜水艦長)によれば、戦後彼が潜水艦勤務中、宿毛湾付近の

豊後水道を潜航航行していたとき激しい地震に遇った。

彼の意見では、現地は水深が急に深くなるところであり、地霊によって土砂が崩れ落ち、海底の回天に

覆いかぶさった可能性があるという。

そのケースも考えられるので、磁気探知器などを使用して海底面の下も捜索する必要があるかも知れない。

 

○愛媛県は「麦ガ浦に回天が存在することを確認できたら、県が引き揚げる」意向であったという。

現地に極く近い城辺町の久良沖海底で先に戦闘機「紫電改」が発見されたとき、愛媛県は六千万円の費用を

かけてこれを引き揚げ、復元した上で同町馬瀬山頂に保存館を作り展示した。

今は紫電改を中心に付近がレクリエーション地域に達成され、観光の名所となっている。

若しも愛媛県自身が国天を引き接げた場合、すべて同県の所有物となるものかも知れない。

この場合は当面それでやむを得ないであろうが、八基もあれば改めてそのあと分与などの話し合いが

期待できると思われる。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2008/08/09