海軍大尉 小灘利春
戦時下の八丈島
駐屯していた将兵の回想
第二回天隊実記・断章 神楽桟
平成 8年12月11日 八丈島老人クラブ連合会
八丈島の港湾設備は、当時は地形上あまり整備が進んでいなかった。
その頃の内地の一般漁港とて、充分な防波堤がないのは同様であろうが、違うのは台風の程度である。
八丈では荒天のとき、漁船を全部高い岸の上まで引き揚げていた。
そのため島の船は、捲き揚げる神楽桟の力量の限度である八トンに大きさが抑えられると聞いた。
丁度回天と同じ重量なのである。
回天も基地に揚収するとき、やはり神楽桟で牽いた。
こちらは鉄のレールであるが、八丈の漁船の場合海から岸の高い所まで、コンクリートで横方向に固定した丸太が並んでいた。
神湊も狭い港で漁船しか入れず、荒天の時はやはり全部の船を陸上に引き揚げると聞いた。
島にはまた、日本では此処だけという片側に浮舟のついたカヌーがあった。岸の近くに浮かべて海に潜り、魚やとこぶしを捕る島の男たちをいつも見かけた。
一人から、「八丈の男は損ですよ、毎日海に潜って。女は家の中で黄八丈を織って、いつもお喋りしている」と、こぼされた。
我々の思い及ばなかった生活の一面を聞かされたが
「それで島の女性は日に当たらず、評判通り色白の美人ぞろいになるのだろう。それなら一緒に暮らす男性もまた結構ではないか」と、
平時の幸せな島の日常に思いを馳せた。
終戦時の海軍警備隊本部
後列/回天隊長 小灘大尉、砲術長 大塚大尉、水雷長 岩本大尉、通信長 林 大尉
前列/副長 平田大尉、軍医長 細田大尉、軍医長付 宮崎大尉
更新日:2007/10/21