海軍大尉 小灘利春

 

忘れ難い人たち 三枝 直

平成11年 7月

 

山梨県 甲府中 甲飛十三期

金剛隊伊五八潜

昭和二〇年一月十二日グアム突入

 

○偏移運動

回天の攻撃目標は当初、港湾、環礁の中で停泊している敵艦隊であったから、狭水道通過と隠密潜入が

訓練の主要課題であった。

私は或る時一分隊員の前で、航海の技法として軍艦の編隊運動の講義を行った。

その中に、狭水道を通過しようとして入り口に差しかかり、浮上した位置が計画地点よりも左右にずれていた

場合に応用できる方法として、その狭水道を計画進路を変えないで通航するために自艦の位置を左右に移す

「偏移運動」を説明した。

それは回天の大きな旋回圏を利用して、仮に計画地点より左に100米ずれていた場合、右に三五度変針し、

艇が針路を変え終わった時、直ぐ今度は左に三五度変針すれば、元の針路に戻って、位置は右に100米移っている。

こんな講義をした後、三枝兵曹が回天の搭乗訓練をした際、たまたま私が追躡艇指揮官になって

彼の航跡を追っていたとき、徳山湾の湾口の前で見事な航跡を描いてこの偏移運動をやってくれた。

勿論、湾口の真ん中を潜航したまま通過して行った。

偏移運動は利点はあるが、必ずしもこれでなくても位置が狂った場合の対策は可能であるのに、

細やかな説明を直ちに実際の操縦に活用してくれる彼の熱心さが私には嬉しかった。

 

○防潜網対策

三枝兵曹は森 兵曹と共に甲飛十三期生の初陣となった回天戦第二陣の金剛隊に出撃が決定した。

伊号第五八潜水艦に搭載さる回天四基に、隊長石川誠三中尉、次席工藤義彦中尉と一緒に

昭和十九年十二月三十日、大津島を出撃してグアム島アプラ港に向かった。

その数日前、三枝兵曹が私の部屋を訪ねてきた。

「目指す敵泊地の入り口には防潜網が張ってある筈である。

それを突破して港内に入る事になると思うので、回天が防潜網に引っ掛からない様な装置を取り付けて欲しい」

との希望であった。

それは当然必要な対策ではあるが、既に回天の中央部にある小さな司令塔の、直角になった前縁には

鉄棒を斜めに溶接しても防潜網のワイヤーが引っ掛からないように工作してあり、

尾部の推進機には尾翼から伸びたガードが取付けられていた。

それ以上、どんな方法が可能であろうか。

一番危ないのは潜望鏡である。

港の入り口の防潜網に差しかかった時、たまたま潜望鏡を揚げたままの状態で水上航走していれば、

引っ掛かってしまう事が残る最大の懸念であるが、それを構造物を作って防ごうとすれば大仰なものになる。

自分の視界を妨げるうえ、発見されやすくもなるので実用的ではない。

防潜網は魚雷を阻止する為の防止雷網と違って網目が粗いから、突破出来るのではないか。

それ以外には対策はないであろうと、一緒に考えて結論を出した。

三枝兵曹は黙って私を見つめ、右手を上げ挙手の礼をして、去って行った。

なんとか、出来る事があればしたいが、充分に安心出来る様な対策は見つからない。

後ろ姿を見送りながら私は、たとえ防潜網があっても彼の的に絡まないよう、天の加護をただ神に祈るほかなかった。

これは彼等が目指すグアム島に限らない。

すべての泊地攻撃に付随する課題であったが、上記の他新しい対策は現れなかったと思う。

テレビの画面に珊瑚礁の切れ目の狭い入り口が現れると、私は戦後の今、総毛がよだつのである。

グアム島攻撃の戦果は、米側の公表は何もない。

カサブランカ型の空母が轟沈したとの説が戦時中の海外報道以来時々あるが、今もってハッキリしない。

伊五八潜は回天発進後、飛行機を見て潜没したので攻撃状況を視認出来ず、

後潜望鏡で黒煙二条が天に冲するのを望見したと、橋本以行艦長は述べている。

防潜網には、特潜がシドニー湾内で引っ掛かって苦心した事は有名であるが、回天が攻撃したどの場所も、

回天が防潜網に掛かったとの話は聞かない。

そもそも、泊地を攻撃した回天の状況について殆ど報告がないのが実情であって、

グアム島を攻撃した金剛隊各艇の状況の調査は今後我々に残された課題の一つである。

 

○帰省に際して徳山駅頭でのメモ

昭和十九年十二月上旬、出撃直前の休暇帰省で徳山駅で列車待ちの時、空襲と粗悪な石炭とで既に国鉄と雖も、

どの列車も時刻通りには走らなかった。

特別休暇は日数制限があり、帰隊時間に遅れることは許されなかった為、逸る心を押さえながら、

後から出発の森 兵曹を気遣って、駅頭から分隊長の私にメモを書いてよこした。

 

「当局の都合により一〇時二二分の東京行急行列車は運転中止と相成り、

止むを得ず十二時二九分の列車にて帰省致すことと相成りました。

又、帖佐大尉より一〇日十一時の定期にて帰隊すべく言われました所、

午前中に徳山駅着の普通列車は之無く候へば、

列車の都合きわめて悪く、十一時迄の帰隊むずかしく覚えます。万策を尽くして帰隊致す所存であります。

森 兵曹の帰省の際はこの点ご注意下さいませ。

三枝二飛曹

分隊長

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/12