海軍大尉 小灘利春

 

上別府宜紀中佐

 

回天隊草創の地、第一特別基地隊大津島分遣隊で、操縦訓練が始まったのは昭和19年の9月5日であった。

回天の搭乗員は兵学校70期以下である。

開隊当時の搭乗員の構成は、70期がコレスの機関学校51期と合わせて3名、71期が3名、

72期と機関学校53期が14名。

それに兵科3期の水雷学校出身予備士官が14名。

少し遅れて回天整備員のなかから志願して搭乗員に加えられた水雷科の下士官が10名の合計44名であった。

このときの兵学校、機関学校出身の合わせて20名は、2名がいきなりの殉職、あと出撃が始まると先頭に立って

相次いで基地を離れ、ひとり残らず出撃した。

 

70期の回天搭乗員ではもう一人、山地(近江)誠大尉がおられる。

伊号第165潜水艦で勤務中、人間魚雷に着想、採用を熱願された。

まず海軍潜水学校附に、次いで9月1日には一特基附と、発令は早かったのに、乗艦が入港したスラバヤからの赴任に

日数がかかったため、回天隊に着任されたのは開隊後少し経ってからであった。

訓練開始2日目の9月6日、70期樋口孝大尉(当時階級。以下同じ)操縦の回天1号艇(試作基)に、この兵器の

創始者、機51期の黒木博司大尉が同乗して、徳山湾内の訓練に荒天を衝いて出発し、途中、海底に突入する事故が発生、

ともに殉職された。

 

開隊後たちまちに、ただひとりの70期となった上別府大尉は、樋口大尉と同じく魚雷艇艇長の出身であり、

ともに特四式内火艇部隊、一名竜巻部隊に行かれた。

内火艇とはいいながら水陸両用戦車であって、潜水艦の甲板から発進し、南洋群島の珊瑚礁をキャタピラ−で乗り越えて

環礁内に入り、停泊中の敵艦隊を魚雷攻撃する決死隊である。

19年5月27日の海軍記念日を期して突入する予定のところ、直前になって中止となった。

その特四部隊の艇隊を指揮する兵学校出身士官は10名。70期3人のうちこの御二人が希望して新兵器回天の搭乗員に

なられ、あと伊地知季久大尉は水陸両用戦車に乗って、マニラで戦死された。

あと71期が6名、72期1名であるが、71期の1人以外は特殊潜航艇の第10期艇長講習員に転じた。

 

回天の訓練基地、大津島のそのころの陣容は、指揮官が板倉光馬少佐(兵61期)、次席が上別府大尉であった。

特攻長として溝口智司大尉(兵66期)が着任されたのはしばらく後になってからである。

搭乗訓練の計画、指導は帖佐裕中尉(兵71期)が主に担当、上別府大尉は板倉少佐を補佐して隊内全般の統率、推進に

当たっておられた。

お二人で隊内を巡視されているときの写真が残っており、当時の隊内の雰囲気が今も偲ばれる。

 

回天特別攻撃隊の第一陣、菊水隊の出撃搭乗員の選抜が10月に入ったころに行われ、我々士官搭乗員が一人づつ

士官室に呼ばれて試問を受けた。

指揮官板倉少佐がテ−ブルの中央に、左右に上別府大尉、仁科関夫中尉が着席しておられ、板倉少佐から直接、

出撃希望についていろいろと尋ねられた。

そのときの光景は私自身にとって一生の大事であったから終生忘れられるものではないが、上別府大尉は何も発言されず、

ジッと見つめておられた。

あとで最適任者の指名について、観察に基づく意見を述べられたのであろう。

 

当時の上別府大尉の印象は、眼光鋭く、寡黙ではあったが温和というような感じではなかった。

開発間もない新兵器の操縦、攻撃方法を研究し演練する、実戦を真直かに控えた切迫した訓練に、搭乗員たちの先頭に

みずから立って精進されていた。

そして最先任搭乗員として当然であるかの如く、最初の出撃、玄作戦回天特別攻撃隊菊水隊の伊号第37潜水艦の先任

回天搭乗員として11月8日、大津島を出撃して行かれた。

開発者のひとり仁科関夫中尉(71期)もまた、同じ菊水隊伊号第47潜水艦で出撃され、指揮官先頭の典型を示された

のである。

こののち、先任順、着任順の特攻出撃という回天部隊での規範が定着していたことは、日本海軍の残光として記憶に

とどめられるべきであろう。

 

米側資料(日本海軍潜水艦史記事)

19.11.19  0858 発見の潜水艦掃討に派遣された米護衛駆逐艦コンクリン及びレイノルズが、

1500 パラオの北方30 浬付近でソナ−探知、爆雷攻撃 回、巨大な気泡、 1700 大爆発音、

更に爆雷攻撃、1 回、浮流物発見。 8- 07 N, 134- 16 E

 (: 37潜の攻撃予定日 19.11.20)

 

海軍中佐 上別府宜紀

経歴

本籍地    鹿児島県姶良郡隼人町

大正10. 2.11 出生

昭和13. 3.   鹿児島県加治木中学校卒業

昭和13.12. 1 海軍兵学校入校(第70

昭和16.11.15 同校卒業  命・海軍少尉候補生  陸奥乗組

昭和17. 6. 1 任・海軍少尉

昭和18. 6. 1 任・海軍中尉

昭和18. 7.   補・横須賀鎮守府附

昭和18. 9.   補・第十一魚雷艇隊附

昭和19. .   補・第六艦隊司令部附兼呉海軍工廠附特四式内火艇)

昭和19. 5. 1 任・海軍大尉

昭和19. 8.15 補・第一特別基地隊附回天搭乗員

昭和19. .  同隊大津島分遣隊着任

昭和19.10.  兼補・第六艦隊司令部附

昭和1911.  補・第六艦隊司令部附

          回天特別攻撃隊菊水隊伊号第37潜水艦先任搭乗員として大津島基地より出撃

昭和191120 パラオ、コッソル水道海域にて戦没 (公報記載戦没日) 任・海軍中佐(二階級特進)

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2008/08/24