海軍大尉 小灘利春

 

忘れ難い人たち 林 義明

平成11年11月

 

新潟県 甲飛十三期

多聞隊伊五八潜伴隊にて出撃 パラオ沖縄線上に進出

昭和二〇年八月十二日水上機母艦と思われる目標に対し回天最後の突入 戦死

 

台湾の台南第一中学校から第十三期甲種飛行予科練習生に進んだ彼は、卒業の時志願して回天搭乗員となった。

光と平生の基地で訓練を積んだ上、

回天特別攻撃隊多聞隊の伊号第五八潜水艦で、平生では最初の潜水艦出撃搭乗員として

昭和二十年七月十八日出撃、沖縄−パラオ間の敵輸送航路の攻撃に向かった。

 

同潜水艦は七月二十八日会敵し、回天二基を発進させた。

二十九日の深夜、重巡洋艦「インディアナポリス」を魚雷で撃沈、

そのあと回天は八月十日、敵船団へ二基が発進したが、この時林艇は不調のため発進中止となった。

八月十二日、水上機母艦らしい大型艦を認め、残る只一基動ける回天、三号艇の林 義明一飛曹が

勇躍これに向かって発進した。

相手はドック型の上陸用舟艇母艦「オークヒル」であった。

後方から迫ってくる潜望鏡を発見して速力を一杯に上げ、左右に転舵して懸命に逃げ回る間に、

護衛しいた駆逐艦が回天ら向かって突進した。

林艇はこの駆逐艦「トーマス・ニッケル」に目標を転換して突撃、命中した。

駆逐艦の乗員は艦の横腹を「ゴリゴリ」と擦ってゆく異様な音響を聞いている。

しかし回天はこの時爆発せず、少し離れてから大爆発を起こした。

駆逐艦はその衝撃で片方のエンジンが使えなくなった。

敵の大型揚陸艦と駆逐艦は、林艇が爆発して真っ白な海水の柱が立ち上った後も

なお二、三基の回天が攻撃中と思い込み、恐怖心から波頭を見誤るのか、

何度も「望遠鏡発見」「雷跡発見」をしては転舵・回避を繰り返し、爆雷投下を続けた。

「幻の回天」との戦いは更に一時間に及び、同艦隊は戦闘報告に「二時間に亘り人間魚雷と戦闘し、

その二隻を撃沈した」と、半分が空振りであったとも気付かず得々と戦闘記を書いて居る。

この事は回天に対する米海軍の恐怖心を如実に物語って居るものである。

 

終戦を三日後に控えての、これが大東亜戦争における回天の最後の戦闘になった。

頭部の慣性信管が作動しなかったのは、回天が艦腹に激突した角度が浅かったためと思われるが、

もし搭乗員がその瞬間に手動の起爆スイッチを押していたら、駆逐艦は間違いなく轟沈である。

間一髪のところで仕留め損じた彼の無念は、我々に取っても大きな痛恨である。

しかし、林艇の見事な奮戦ぶりは、彼の不撓不屈の攻撃精神を具現したものであり、

正しく洋上の波濤のなかにおける回天の航行艦襲撃の能力を立証した大健闘であった。

誠実、真摯な人柄で筋骨も逞しい偉丈夫、故・林 義明少尉は我々の誇りとするに足る模範的な回天搭乗員であった。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/12