海軍大尉 小灘利春
神武隊の作戦
平成16年 9月21日
昭和二十年二月十九日、硫黄島に米軍の大部隊が上陸を開始、回天を搭載した「千早隊」の潜水艦三隻が
出撃したが、伊四四潜のほかは連絡報告がなく、消息不明であった。
第六艦隊は続けて伊号第三六潜水艦および伊号第五八潜水艦をもって「回天特別攻撃隊神武隊」を編成し、
各艦に回天四基を搭載、硫黄島方面へ出撃させた。
伊五八潜は光基地から三月一日に出撃した。
艦長は橋本以行少佐、
回天搭乗員は 池淵信夫中尉(兵科三期予備士官、海軍水雷学校、大阪日本大学、兵庫県)
. 園田一郎少尉(兵科四期予備士官、同、東京大学、神奈川県)
. 入江雷太二等飛行兵曹(十三期甲種飛行予科練習生出身下士官、東京都)
. 柳谷秀正二等飛行兵曹(同、北海道〉 であった。
伊三六潜は翌二日、大津島を出撃した。
艦長菅昌徹昭少佐、
搭乗員 柿崎実中尉(海軍兵学校七二期、山形県)
. 前田肇中尉(兵科三期予備士官、海軍水雷学校、福岡第二師範、福岡県)
. 古川七郎上等兵曹(水雷科下士官、岐阜県)
. 山口重雄一等兵曹(同、佐賀県) であった。
この搭乗員四名は金剛隊の伊五六潜でアドミラルティ諸島の攻撃に向かい、発進を果たせず帰投した
組の再出撃であった。
伊五八潜は対空警戒装置として、無指向性の、昇降式短波マストの上端にアンテナを装着した従来の
対空電探のほかに、指向性がある八木アンテナを使った「十三号対空電探」を今回出撃前に艦橋に装備し、
成績が優秀であった。
昼間はこれらを活用して対空警戒を行い、水上を高速で急進撃、視界が利かない夜間は逆に潜航しながら、
一路戦場を目指した。
橋本艦長は硫黄島の北西十七浬を回天の発進地点に選定していた。
南方と東方は敵部隊の補給交通路にあたるため、警戒厳重と判断したのである。
硫黄島周辺では敵哨戒機や艦船を発見すると、その度に潜航回避しながら進出を続け、
いよいよ発進点到着を目前にした。
一旦浮上し、交通筒のない左右二基の回天に早めに搭乗員を乗艇させて、予定地点に潜航接近しつつ
あったとき突如、作戦中止の命令を受信した。
連合艦隊は三月六日、潜水艦による硫黄島方面の作戦は困難と判断し、次の作戦に備えるために中止を決定、
第六艦隊は各艦に帰還命令を発信した。
伊三六潜は三月九日大津島に帰り、搭乗員と回天を降ろして、十日呉に帰還した。
伊五八潜は緊急指令により、沖の鳥島西方海面に進出し、航空特攻「第二次丹作戦(梓特攻隊)」の
電波誘導艦として協力するよう命令された。
硫黄島は北緯二四度四七分、東経一四一度一八分であり、沖の鳥島は北緯二○度二五分、
東経一三六度四分なので、方向は南西、距離七五○浬になる。
三月十一日、伊五八潜は任務を経え、十六日光基地へ帰着して搭乗員と回天を下ろし、
十七日に呉に帰還した。
第二次丹作戦とは、
三座双発の陸上攻撃機「銀河」二四機が各々八百キロ爆弾を搭載して九州鹿屋基地を発進、
一三六○浬を無着陸飛行して、ウルシー泊地の敵機動部隊を急襲する長距離航空特攻であった。
伊五八潜は、十日の日出までに沖の鳥島西方十里付近に到達して待機、指定を受けた時刻に誘導電波を
輻射する任務である。
攻撃実施は当初、三月十日の計画であったが、誘導の飛行艇「二式大艇」二機のうち一機のエンジンが
不調になったため延期され、十一日朝出発した。
途中で九機が脱落、ウルシー泊地に到達した十五機が敵艦へ突入を開始した。
しかし到着時刻がかなり遅れ、既に日が暮れて辺りは暗く、各機がウルシー環礁と艦船の上を低空で
飛び回ったが、目標を発見できなかった。
たまたま、新鋭の大型空母「ランドルフ」が弾薬積込み作業のため灯火を点けた。
その後部飛行甲板の下に、僅かに一機だけが突入して爆発、同艦は後部に大穴が開いて炎上した。
ウルシーではその日、空母十七隻が集結し、九州地方を空襲するため出撃準備中であった。
それなのに、梓特攻隊の敵機動部隊の沖縄侵攻阻止の壮途は虚しく潰いえ、悲劇的な結果に経わった。
ウルシーにいた米軍将兵は、まさか日本の飛行機がここまで来るとは考えられず、多くが「また回天の攻撃」と
受け取ったという。
伊五八潜が搭載した回天については、第六艦隊は作戦中止の際、処置を艦長に一任したが、のち回天の
内地陸揚げを指示した。
同艦は沖の鳥島へ急行する際、交通筒のない両舷二基の回天を海中投棄して、水中抵抗を減らす処置を
採っていたので、あとの残った二基を大津島で陸揚げした。
更新日:2007/09/09