海軍大尉 小灘利春

 

轟隊 伊一六五潜の戦闘

平成17年 6月16日

 

回天特別攻撃隊轟隊の一艇、伊号第一六五潜水艦は回天二基を搭載して昭和二十年六月十五日、光基地を出撃して

マリアナ諸島の東方海域に向かった。

 

艦長大野保四少佐。

回天搭乗員は水知創一少尉(兵科四期予備士官、水雷学校、早稲田大学、兵庫県)、北村十二郎一等飛行兵曹(第十三期甲種

飛行予科練習生出身下士官、台湾新竹中学、長野県)の二人であった。

 

同艦の竣工は昭和七年である。

昭和十六年十二月の開戦当時、マレー東方沖合で哨戒配備に就いていて、英国東洋艦隊の戦艦「プリンスオブウェールズ」および

「レパルス」などを発見して通報し、両戦艦撃沈という緒戦の大戦果に導いた。

のちインド洋に於ける通商破壊作戦に従事し、十九年三月まで連続行動したあと、スラバヤを基地として豪州北部、ニューギニア

方面で活動した。

武運に恵まれた潜水艦であったがすでに老齢艦である。

排水量一五七五トンと小さく、艦型が細長いので、回天を司令塔の前と後に一基ずつ、計二基だけを搭載した。

 

六月十五日の出撃以後、連絡がないまま消息不明となり、第六艦隊司令部は昭和二十年七月十六日をもって搭乗員は戦没、

潜水艦は七月二九日喪失と認定し、潜水艦乗員と回天整備員はこの日の戦死として公表した。

 

米海軍第一四二哨戒爆撃隊は昭和二十年五月にミッドウェー島からマリアナ諸島テ二アン島の海軍航空基地に移動して来て、

哨戒飛行に従事していた。

六月二七日の、日本時間より一時間早い現地時間で〇九〇五に双発中翼の哨戒機PV−2「ロッキード・ハープーン」一機が

飛び立って、航空基地の東北東、距離五〇〇浬の扇形水域の哨戒任務に就いた。真方位〇七九度方向に四五〇浬飛んだのち

一二二〇、右旋回して針路を一七六度に変えたところ、同機は高さ四二〇〇米の巨塔のような積乱雲のなかに突っ込んでしまった。

レーダーは出発直後に故障し、回路を焼損したので機上では修理できず、計器飛行だけで一二三二、雲のなかを抜けたとき、

操縦士が浮上潜水艦を肉眼で、右前方に発見した。

潜水艦の針路三〇〇度、速力一四ノット。その右舷前方五浬から接近する態勢となった。

巻層雲が太陽光にベールをかけ、雲底五〇〇米の積雲が散在していて、全天の八割を雲が覆っていた。

東の風で軽いうねりがあり、海上は僅かに白波が立っていた。

黒い潜水艦の艦体は、真昼の明るい海面の上にはっきりと視認できた。

「ハープーン」桟は高度一七〇〇米から一気に降下しながら針路一八〇度で急接近し、高度九〇〇米になったとき、

潜水艦は右に転舵し、急速潜航に入った。

同機は三発の一六〇キロ、起爆深度八米の四七型対潜爆弾を、二〇米間隔で海面に落下するよう秒時を設定して連続投下した。

潜水艦は潜没しかけていたが、甲板はまだ波に洗われていた。

爆弾投下の直後に勘で一八〇度左旋回したのち、大きく一周しながら五個の発焔浮標を次々と投下したので、その作業のため

乗員六名の誰もが爆弾が爆発した瞬間を偶々目撃できず、僅かに一人があとの水煙を見ただけであった。

機長は続けて「二四型機雷」を投下しようとしてスイッチを押した。

しかし落射装置が働かず、落ちなかった。

この機雷は当時米海軍の最高機密であった兵器の「聴音魚雷」であって、潜水艦の推進機音を追尾してゆく潜水艦攻撃用の

電池魚雷である。

 

しかし攻撃が終わったあとの海面に重油の膜が広がりはじめ、数個の木材、それに魚雷の形をした物体が二個、海面に浮き沈み

しているのが見えた。

一二四七、聴音浮標を数個投下した。

その一つから機械音が聞こえたので、その近くに二四型機雷を手動で投下した。

その兵器が巧く作動したかどうか不明であるが、何の音も聞こえてこなかった。

その後も付近の捜索を一四二五まで続けたが、燃料が無くなりテ二アン基地に帰投した。

交戦地点は北緯十五度二八分、東経一五三度三九分であった。この場所はサイパン島の東約四一〇浬である。

基地に帰ってから乗員たちは米太平洋艦隊の太平洋戦域司令部が発行している同年四月二三日付の週刊情報資料に掲載された

「日本海軍の人間魚雷」の記事を見て、自分たちが見た大型の魚雷がそれであったと初めて知った。

海面に浮かんでいた木材もその架台であろうと推理した。

機長ジェーンズ中尉は詳細な戦闘報告書を提出した。

潜水艦の艦橋の前と後の甲板に二本の大型魚雷を積載した見取り図を描いて加えた。

上層機関は「命中、爆発の瞬間を目撃していない」こと、「対潜攻撃専門の哨戒飛行艇PBMマーチン・マリナーの来援を求めたが、

通信状態不良のためとはいえ、攻撃に参加していないこと」、また撮影した写真もレンズが曇ったためか写りが悪いことから

「甚大な損傷を与えたと認めるが、潜水艦撃沈とは認定しない」という結論になった。

 

米軍哨戒機は常にレーダー電波を出しながら飛行している。

おそらく伊一六五潜はそれを逆接知しながら肉眼見張りに併用して白昼、浮上航走していたのではあるまいか。

巨大な入道雲の中から電波を出せない故障哨戒機が飛び出してきたという偶然の不運があって急速潜航が間に合わず、

伊一六五潜は沈められてしまったようである。また、潜水艦が海面から姿を消したあとの波間に、二基の回天らしいものが

目撃されていることから、この災厄に適ったのは遺憾ながら回天が発進する前であったと見られる。

日本側は通信解析班の交信傍受から六月二八日「伊一六五潜の回天がサイパン水域で多大な戦果を収めたことは確実」と判定した。

しかし、前日の二七日に同潜水艦は沈んだと思われる。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/10/21