海軍大尉 小灘利春
多聞隊 伊五十八潜回天の戦闘
(第二部:オークヒル、ニッケルとの交戦)
平成17年 9月27日
伊五八潜は多聞隊作戦で七月二八日こタンカーと駆逐艦に対して回天一号艇の伴修二中尉と二号艇小森一之兵曹の
二基が発進、二九日深夜には米重巡洋艦「インディアナポリス」を魚雷攻撃で撃沈した。
八月九日朝、輸送船と駆逐艦を発見して、五号艇の中井昭兵曹と四号艇の水井淑夫少尉が発進した。
伊五八潜は八月一日に「暫時北上せよ」との電命を受けていたので、さらに北上を続けた。
八月一二日、伊五八潜は波静かな海上を速力十二ノットで北へ航走中、敵レーダー波を探知、続いて水平線上にマストを
発見して潜航した。
一五一六、艦長は大型艦を発見、「回天戦用意、魚雷戦用意」を発令し、唯一の動ける回天、三号艇の林義明一飛曹に
発進用意を命じた。
目標は一万五千トン級の水上機母艦らしい艦型で、護衛の駆逐艦一隻を伴って次第に接近してきた。
一七五八、距離約八千米で林艇が発進した。
橋本艦長は潜望鏡で遠くから観測していたが、敵艦は突然煙突から黒煙を吐き上げて遁走を始め、右に左に回避運動をする
様子が見えた。
三十分ほどして駆逐艦が反撃に入ったのか、爆雷投下の轟音が連続して聞こえてきた。
伊五八潜は戦果確認を第六艦隊から強く要請されていたこともあり、ほかには敵影がないので、このときは昼間用、夜間用の
二本の潜望鏡を海面上に高く挙げ、橋本以行艦長と航海長田中宏謨大尉が司令塔で並んで観戦していた。
日没時刻は一八四九であり、夕暮れに近いが、まだ海上は明るかった。
一八四二、遠くに見えていた敵艦の中央で大水柱が高く奔騰し、黒煙が天に冲するのを望見した。
航海長は
「敵艦が水柱に包まれて、ぐーっと、のめり込むように水中に没する姿が潜望鏡に捉えられた。轟沈!敵艦の影すでに無く、
駆逐艦のマストのみが見えた」と記録している。
艦長は「大型艦一隻轟沈」と判定し、夕闇迫る頃浮上、続けて北上しながら第六艦隊に打電報告した。
八月十二日、米海軍のドック型揚陸艦「オークヒル」九三七五トンは、護衛駆逐艦「トーマスF.ニッケル」一四五〇トンと二隻で
前日沖縄を出発し、レイテ湾に向かっていた。
ドック型揚陸艦LSDとは、艦内後部が大きな船倉になっており、中型戦車を積載する揚陸艇LCTなど数隻を収容しておき、
敵前上陸をするときは船倉に海水を張って後扉を開き、浮かんだ艇を艦尾から急速発進させる大型艦である。
日本潜水艦が行動中なので両艦は直行航路から二七〇浬東寄りを航行するよう指示を受け、それに従って基準針路
一四四度の迂回航路をとり、之字運動を行いながら速力一四ノットで航走していた。
天候晴、視界良好。南東の風、風力二、海上は平穏、南東の軽いうねりがあった。
同日夕刻の一八二六、「オークヒル」の見張員が左舷斜め後方一〇〇〇ヤードに潜望鏡を発見した。
当直将校は即座に右舷を取り、潜望鏡を真後ろに見るよう進路を二〇〇度に変え、速力を一杯に上げた。
潜望鏡は直ぐに見えなくなった。
護衛中の「ニッケル」は警報を受け、「オークヒル」の航跡を逆に辿って潜水艦を捉えようと全速で潜望鏡発見地点に
向け急行した。
一八三〇、一本の魚雷が「オークヒル」と並行して走り、やがて同線の航跡波の中に入ってきた。
その魚雷は海面上に現れては沈んで、同艦を高速で追いかけ、接近してきたので同艦は魚雷を発見する都度、
それが真後ろになるよう大角度の変針をして懸命に逃げた。
しかし魚雷のほうも、浮上するたびに向きを変えては追いかけてくるので「ただの魚雷ではない」と警戒した。
一八四〇頃にもなお魚雷の追跡は続いていたが、追いつかないまま泡立つ波のなかに姿を消した。
「ニッケル」の艦長C.S.ファーマー少佐も当然、潜水艦が発射した通常の魚雷と最初は思い込んだ。
「オークヒル」を追って浮上した魚雷を発見して、航跡とは逆の方向で潜没している筈の潜水艦を捉えようと、そのほうへ
全速突進し、まず威嚇のため一八三五、爆雷九発の一斉投射を行った。
「海面に跳出した普通の魚雷」と信じていたが、この物体の動きは速いけれども魚雷の水中速力ほどではない上、
針路を何回も大きく変えるので、ようやく「これは人間が操縦する魚雷、または小型潜航艇に違いない」と気が付いた。
艦長は潜望鏡発見地点の捜索を打ち切って、直ちに魚雷を爆雷攻撃するため占位運動を開始、
転舵一杯でこの物体に艦首を向けた。
一八四〇すぎ「ニッケル」の後部機械室と前部および後部の罐室にいた乗組員たちは同駆逐艦の左舷側を、何物かがガリガリと
擦ってゆく音を聞いた。
「同艦の横腹を、あたかも金属と金属が接触したような感じで擦っていった」との報告があり、そのすぐあと一八四二、魚雷は
「ニッケル」前方約二三〇〇ヤードの海面に突然姿をあらわして猛烈な爆発を起こした
。煙と水柱が空中二〇〇フィートの高さに立ちのぼった。
「オークヒル」からは二〇〇〇ヤード後方であった。
交戦地点は沖縄南東約三六〇浬の北緯二一度一五分、東経一三一度〇二分である。
「ニッケル」はそのあと「オークヒル」の後を急いで追いながら、レーダー、ソナーと肉眼見張りで周囲を厳重に警戒していたが、
一九〇五、自艦の左正横に潜望鏡を発見した。
「オークヒル」自身も、後方の艦尾波のなかを近づく潜望鏡をまたもや発見して、左右に急速転舵を繰り返した。
「ニッケル」のファーマー艦長は敏速に操艦して潜望鏡の推定航路の前方に占位し、浅深度に設定した爆雷十二発を投射した。
爆雷が海面に落下して爆発した範囲の外側でも一発、強烈な爆発が海中で起こった。
艦長は「二本目の人間魚雷を多分、撃破した」と報告した。
「オークヒル」が一九二〇、今度は真正面に航跡を発見して、また大角度変針をして逃げた。
「ニッケル」が前進して調査に向かったが、そこで同艦が発見したものは長い航跡若しくは油膜のようなものであった。
レーダー面に輝点を発見したものの、その後の潜望鏡発見はなく、ソナーには何の反応も出なくなったが、両艦は左右の変針を
繰り返して警戒航行を続け、二〇四八にようやく元の基準針路一四五度に戻し、之字連動に入った。
「ニッケル」の艦長ファーマー少佐は「大型潜水艦がソナーの到達圏外、恐らくは東方の海面にいて、そこから攻撃を指揮し、
観測していたものと信ずる」と報告した。
「オークヒル」の艦長C.A.ピーターソン大佐は
「潜望鏡と、人間魚雷と見られる未確認物体を発見、二時間にわたる戦闘ののち、これら二隻を撃沈した」とし、
また「自艦が敵魚雷の磁気信管に感応しないよう艦体周囲の消磁回路に電流を通したが、その電流を最大に強くしたときに
最初の魚雷の爆発が起こった。その電流量が人間魚雷に対して起爆効果があったと推定する」と記載して戦闘詳報を提出した。
林 義明一飛曹は大型艦「オークヒル」を追跡し続け、近くまで迫った。
相手は増速したが、航海速力十四ノットから最高速力十五五ノットに上がっただけである。
しかし、潜航して二十ノット以上で追っても、浮上して五ノットで観測するあいだに離される上、相手が必死になって大角度の
転舵をしては艦尾を向けるので、大型艦「オークヒル」への命中、撃沈は遂に果たせなかった。
そこへ接近してきた護衛の「ニッケル」に林一飛曹は目標を転換して突撃し、命中した。
しかし相手が転舵したためか、角度が浅くなって衝撃力が慣性信管を作動させるには足りなかったのであろう、
頭部の一.五五トンの爆薬は起爆しなかった。
回天はそのまま僅かの秒時直進して浮上し、自爆した。燃料が既に限度一杯にきて、少しでも敵に近いところで爆発して
敵に損害を与えようと判断したと推察される。
若しも駆逐艦の艦腹を擦過した瞬間、電気信管のスイッチを押していれば、艦底中央での爆発であるから、
轟沈は間違いなかったであろう。
しかし衝撃が軽く、命中したと確信できなかったと推察される。
この自爆がたまたま「オークヒル」と伊五八潜を結ぶ線上で起こったため、日本側は潜望鏡で「大型艦が水柱に包まれる光景」を
目撃した。
命中、従って当然轟沈、と艦長、航海長は信じたのであろう。
「オークヒル」と「ニッケル」の両艦は林艇が一八四二に自爆したあとも略一時間にわたって走り回り、爆雷投下までして
回天との戦闘を繰り広げた。
そして両艦とも「人間魚雷二基」を撃沈したあと、それ以上の人間魚雷と交戦したと確信している。
しかし、発進した回天は林 義明兵曹の一基だけであった。
自爆以後のすべては幻である。
姿の見えない海中の敵が如何に脅威であり、混乱を招くか。
その典型的な例であろう。
「オークヒル」が所属する第七艦隊の上司であり第一戦艦戦隊を指律したJ.B.オルデンドルフ中将は、
この「ニッケル」の報告書に付け加えて
「この新しい攻撃方法は、もしもこの戦争が続くかぎりは極めて重大な脅威となるであろう。この交戦はその優れた実例である」
と述べた。
伊五八潜は北上を続けながら、八月十五日の終戦を告げる機密電報を受信したが、艦長は乗員には伏せたまま十七日に平生基地に帰還した。
搭乗員白木兵曹と整備員六人が上陸し、甲板に残った回天一基を陸揚げして、翌十八日呉に回航した。
更新日:2007/10/28