海軍大尉 小灘利春

 

回天の飛沫

平成 9年 8月27日

 

◎回天の訓練頭部

○六金物の訓練のとき、火薬の詰まった実用頭部の代わりに取りつける「訓練頭部」別名「駆水頭部」の中には

自動計測装置「雷道計器」が装備されている。

残った空間は海水で満たされており、沈没した場合などバルブを押すと、圧縮空気が噴出してこの海水を排除し、

艇は軽くなって海面に浮かび上がる仕組みである。

尤も、頭部だけが軽くなるので、浮かび上がると海面の上に艇の前端を高く突き出す形になって、遠くからでも

発見できるが、艇の中は仰角一杯、椅子がある操縦者はまだよいが、特眼鏡の前の狭い空間にやっと納まっている

同乗者は曳航を開始して艇が水平に戻るまでの長い時間、下に落ちないように掴まっているのが大変である。

但し、この排出操作は、始めのうち艇内からはできなかった。

沈没した○六金物を捜しだして、潜水夫が頭部に歩み寄り、その外面についているバルブのボタンを押して

くれなければ、艇は浮き上がらない。

操縦席から排出の操作をする配管がないために、大津島で訓練を開始した直後に2名の殉職者を出してしまった。

 

ハッチは内側から開閉するものであるが、海底では実際問題として水圧がかかっているので、ちょっとやそっとの

力ではハッチを持ち上げられない。

私も一度だけ艇の頭を海底に突っこんだことがある。

そのときは海の底で長い時間じっと待っていて、そのうち基地から到着した潜水夫が潜り、緑色の海水のなかを

歩み寄って、頭部のスイッチを押してくれる様子を潜望鏡をとおして観察した。

 

駆水頭部の中の計器が、魚雷の走っている間、時々刻々の深度、速力の数値を記録するのであるが、

開隊当時われわれ新米搭乗員の最初の仕事は、○六金物がそれぞれ航走を終えたのち、取り出されたこの

「雷道計器」の記録紙からデ−タを詳しく読み取り、分析して、各種の状態における運動性能を調べることであった。

速力の曲線の変わり方から、何ノットに増速する操作をすれば、どのように速力が上がってゆき、

何秒後に新しい速力にセットするのか。

魚雷が走る深さは、どの様に変わってゆくのか。この初対面の兵器の性能が次々と数値になって出てくるので、

なかなか面白い作業であった。

記録紙の曲線は、ひとつの操作ではどの魚雷も正確に全く同じ動きをしていることを示しており、意外なほど

無駄のない、滑らかで美しい線であった。

 

◎大飛沫

○六金物の初期のころ、訓練を見た人が先ず驚くのは、潜入するときに尾部から噴き上げる大きな「水しぶき」

であった。

こんな派手なことをやれば、遠くからでも一遍に見つかってしまう。

存在を知られないために海中に潜るのに、何をやっているのか判らなくなる。

 

回天操縦の実際はどうか。

搭乗員は岸壁の上で艇に乗りこみ、まず操縦装置ほかを点検し、電動縦舵機(コンパス)を真方位に整合した上で

発動し、多数ある発進用意の操作を次々と進めた後、座席の頭の上にあるハンドルを自分で廻してハッチを締める。

「いいか、ハッチは自分が閉めるものなんだぞ。開けるときも自分で開けろ」とは、訓練に入るとき、

仁科中尉が搭乗員全員に強く指導されたことである。

それからクレ−ンで吊り上げ、海面に下ろされる。作業艇に横抱きされて発進位置まで進出し、掌整備長が

ハンマ−で艇体を叩く合図を聞いて、中の搭乗員が発動桿を力一杯押すと「ドドド−ッ」と大きな音がして

エンジンがかかり、尾端の二重反転プロペラが猛烈な勢いで廻りだす。

 

発進の際は、燃焼室の中で燃料が完全な状態で燃焼する「熱走」にならずに「冷走」になって、碌に走れなくなるのを

防止するため当初【速力20ノット、深度5メートル】にセットして、発動する規定になっていた。

速力ゼロの状態で、いきなりプロペラが20ノットの回転数に上がる一方で、浮力が整備規定どおりの100Kg

あると中々潜らない。

横舵は下げ舵一杯をとっており、また少し前進すると先端の形状からまず頭部が沈むが、大きな傾斜がかかって

尾部を持ち上げるばかりである。

そうなると、尾端にある舵は効かず、プロペラは空転して推進力を出せないまま、徒に飛沫を盛大に後ろへ

噴き飛ばすのである。

 

始めの頃は操縦性能にまで開発当事者たちの関心が及ばず、隠密性はどうも二の次になっていたのではないかと

思われる。海

水タンクを設け、浮力を調整して潜入しやすくし、飛沫を減らす対策をとったのは、○六金物の開発開始以来

かなり経った後のことであった。

歴戦の潜水艦長である大津島の指揮官板倉光馬少佐が「隠密露頂潜入」には実に口やかましかった。

繰り返して注意する必要があるほど、豪胆であっても細心ではない搭乗員が少なからずいた。

 

◎潜入時の左旋回

機械発動時の景気のよい飛沫だけならば目を瞑るとしても、困るのは、そのうちに前進が始まり、

横舵が効きはじめて潜入するまでの間、尾部がドンドン右に振れ、即ち頭が左に回ってゆくことである。

30−40度も左を向いてから潜入すると、時間がやたらとかかる上に、旋回圏が大きいので航跡が左にずれてしまう。

「何故尻尾を右に振るのか?」

毎夜開かれる研究会で、この問題が直ぐに取り上げられた。

誰も直ぐには発言する者がないそのとき、ほっそりとした予備士官の少尉が立ち上がって、静かに意見を述べた。

「二重反転プロペラの、前の方は右回り、後ろが左回りである。

○六金物が、頭部を下げて潜入を始めるとき、まず前の方のプロペラが水面下に入る。

反対方向に回る後ろのプロペラはそのときまだ浅く、水面に近いので、前の翅が海水を叩く力は、後ろよりも強い。

このため潜り終えるまでの間、艇尾を右に振り続けるのである」と。

一同納得し、「この兵器に接触して、互いにまだ日が浅いのに、観察が鋭い人物がいるものだ」と感心したが、

そのスマ−トな予備士官が兵科三期の渡辺幸三少尉であった。

 

大飛沫と首の左振りの対策は、原因が判れば簡単であった。

発動する時の設定回転数を下げられないのであれば「艇尾を持ち上げない工夫」をすればよい。

即ち、《調深ゼロ》にセットして発進すれば済む。深度をゼロに設定すると、横舵は《上げ舵一杯》をとって

固定される構造になっているので、機械を発動して推進器が回転し、前進を始めると水流が舵に当たり、

上げ舵が効いて頭部が上がる。

それで、艇は潜らないが、尾端にある縦舵の方は海面下に沈むのでよく効いて、真っ直ぐの水上航走を始める。

速力がついてからあと、設定深度を5メ−トルに切り替えれば、尾端の縦舵、横舵とも既に強い水流が当たって

いるので、舵効きがよい。当然、飛沫も上がらず、しかも曲がらずに、スーッと潜ってくれるのである。

 

研究会の席上「深度ゼロに調定して発動」と、操法改正が決まりかけたとき、整備担当の特務士官が

「燃焼室が過熱して融ける」として猛反対した。

「重量8トンの回天がいきなり尾部の機械室まで空中に突き出すわけでもなし、燃焼室は海水に浸かったままで

冷却がきくから、設定深度で悪影響はない」と私は思ったが、反対者の体面を尊重してか操法の改革は

このとき見送られてしまった。

その後は、強制されなくても心得た連中は滑らかな発進をするようになったが、新米搭乗員には

豪勢な飛沫を飛ばす者がいて「渡辺理論」を思い出させてくれた。

水上航走中に潜入するときは、或る程度以上の速力を保っていれば、予備浮力を適正に調整してある限りは

飛沫を殆ど噴き上げずに、所謂「隠密潜入」が出来た。

 

渡辺幸三少尉は回天作戦の第1陣、菊水隊の搭乗員に選ばれて昭和19年11月8日、伊号第47潜水艦に

乗込んで大津島を出撃して行かれた。

戦後になって、渡辺さんが慶応大学のヨット部におられたと聞き、なるほどと合点した。

理論的な説明を、判りやすく淡々とされた渡辺少尉の気品ある端正な横顔と、身についたシ−マンシップに、

今もなお鮮やかな印象が残る。

 

◎予備浮力の調整

隠密潜入、露頂のキ−ポイントのひとつ、「予備浮力」は、大津島の板倉指揮官が

「水上航走中は常に100Kgを保て」と、口やかましく要求されていた。

浮力が大きいと潜りにくくなるが、逆に浮力が少ないと、波があるときは水上航走が安定しない。

観測も困難になる。

予備浮力がプラスであるか、マイナスであるかは、水中を航走中に、傾斜計を見ても判断できる。

仰角がかかった、つまり頭を上げた状態で水中を走っていれば、マイナスの浮力。そのまま浮上すれば、

波次第で水上航走が安定しない恐れがあり、停止すれば「忽ち沈没」する騒ぎになる。

この浮力調整は結構神経を使う。艇内の前後にある、巨大な気蓄器の中に充填された225気圧もの高圧酸素が、

走るにつれてどんどん減って、艇の重量が軽くなって行くので、その分、海水タンクに注水する。

浮上予定時期に合わせて、理想の浮力になるよう、秒時計を見ながらコックを開いて海水を入れる。

私は深度5米、又は10米で、海水10Kgを入れるのに何秒、という計算表を作っていた。

但し、回天の浮力調整は海水タンクの注水だけで、排出はできない。

入れすぎは禁物であった。

 

島を回る狭水道通過訓練のときなど、出発前に海図上に航路計画の線を引いておく。

酸素消費量を計算して、注水する所要秒時をその線の横に予め書き込んでおくと、楽である。

忙しい操縦操作のなかにあっても、隠密、急速潜入のためには、この浮力調整は手を抜いてはならない

作業であった。

波が小さい海面では、私は浮上時の浮力が指定の半分の50Kgになるよう、細かく計画していた。

水上速力の方も「イルカ運動を防ぐために、一杯絞って3ノットにせよ」との板倉指揮官の厳重な指示があったが、

それでは観測も潜入も巧くゆかぬと私は考えて、6−8ノットにした。

かなりの速力の水上航走を無断でやり、人には黙っていた。

それでもイルカ運動は、私の操縦で起こしたことは一度もなかった。

しかし、大きな波や、うねりのある海面では、浮上時の予備浮力50Kgでは、やはり明らかに不足なので、

充分に取る必要があった。

○六金物の総排水量8,300Kgに対して、海水バラストの量を調整して全重量を8,250Kgにすれば、

予備浮力はプラス50Kg。

その差の、全体からみればごく僅かな大小で、運動性能がかなり違ってくるのである。

 

光基地では航行艦襲撃のときはマイナス浮力にして航走していたという。

たしかに急速潜入には有効であるが、停止するときに確実にプラス浮力に戻るように走った後でなければ、

海水バラストを排出する装置は皆無であるから沈没する。

機械が故障して、予定した時期の前に停止しても「沈没事故」である。

その例もあったであろう。

 

◎旋回圏の問題

回天は旋回圏が比較的大きかった。

その故に、潜入前に頭を振ると、潜入動作が遅れるばかりでなく、潜入したあと設定針路に戻っても、

航跡がずれてしまう。

目標が動かない停泊艦襲撃の場合ても、敵艦のど真ん中に狙いをつけて突撃した積もりが、左に外れることになる。

 

旋回圏が大きいのは魚雷である回天の宿命である。

魚雷は本来、人が乗らずに決められた方向に走る機械であるから当然自動操縦である。

但し、どこの国の魚雷も「シングル・モ−ション方式」を採用しており、縦舵が左右どちらかに、交互に常に一杯、

絶えず舵をとりながら、設定針路を守るやり方である。

従って魚雷はいつも細かく頭を左右に振りながら直進する。

そのため、縦舵は幅の短い、細長い舵面のものを使用することになるのである。

従って、魚雷の操舵装置をそのまま使う回天は、縦舵が細いために針路を変更するときには当然、舵の利きが足りない。

従って変針に時間がかかり、旋回圏は大きくなってしまうのである。

魚雷方式の自動操縦であるからには、避けられない欠点ではあるが、搭乗員が変針する角度をその分修正して

カバ−すればよい。

操縦上、さほど困る障害ではない。

 

尤も、回天の旋回圏が大きいといっても、直径で300米。艇体が小さい割には大きいということであって、

旋回圏も、旋回に要する秒時も、駆逐艦などと似たようなものであろう。

「回天の欠陥」などと大袈裟に言うことではでない。

なお、変針を速くし、旋回圏を小さくするため、補助の「人力縦舵」が装備されていて、速力を落とした

水上航走中の変針には、よく使っていた。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2008/08/17