甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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甲飛十三期殉國之碑記念公園 若桜友苑

第十三期海軍甲種飛行予科練習生 殉國之碑

 

第十三期海軍甲種飛行予科練習生 殉國之碑

碑文

海軍甲種飛行予科練習生とは、海軍航空戦力の増強を目的として、航空幹部を育成するため、

昭和十二年 以来終戦まで、旧制中学高学年よりの志願者について選抜されし者にして、

第一期生より十六期生まで、そ の数十四万八千百十五名なり。

選抜されし練習生は、まず飛行予科練習生教程に於いて一般学と軍事学を修め、

将来海軍航空士官として の躾を第一とした。

心身の練磨をはかり、次いで飛行技術習得のため飛行術練習生教程へと進み、

しかる 後第一線実施部隊へと配属され、作戦航空部隊の一員として活躍せしものなり。

 

されど甲飛第十三期生二万八千百十一名は第二次世界大戦において、

戦い我に利あらざる国家存亡の秋 学業をなげうちて土浦、三重、奈良、美保、松山、鹿児島の

各航空隊に入隊し、落日迫る終戦時における 日米海軍のあらゆる配置の主幹要員たりき。

即ち、九三式中間練習機の特攻訓練を終えて出撃寸前にある者、

人間爆弾「桜花」、ジェット特別機「橘花」 ロケット戦闘機「秋水」の搭乗員として出撃せし者。

また、沖縄決戦において、「神風特別攻撃隊」(「第一第三 草薙隊」「第一魁隊」

「第一第二八幡勤皇隊」「八幡尽忠隊」「八幡振武隊」「皇花隊」「白鷺赤忠隊」

「第一第 二勤皇白鷺隊」「第三正気隊」「琴平水心隊」「第四御楯隊」「一次〜五次白菊隊」

「白鷺揚部隊」「十二航戦 水偵隊」「神雷部隊」)として活躍せし者等なり。

かくて、ある者は索敵中に、ある者は訓練中に、またある者は転進中に、

あるいは病魔に蝕まれ壮進半ばにして護国の神として散華せり。

 

また、想いを空に馳せつつ、あるいは人間魚雷「回天」(神潮特別攻撃隊、千早隊、多聞隊、

多々良隊、天武隊、金剛隊、白竜隊、轟隊、振武隊)として、

あるいは特殊潜航艇「蛟竜」「海竜」として、

またあるいは水上特攻艇「震洋」(特別攻撃隊第二十、第二十二、第二十五、第三十四、

第三十五、第三十七、第三十八、第三十九、第百一震洋隊)として出撃し、

華々しく体当りの末、南海の底深く散華せり。

 

かくのごとく大空、水上、水中あるいは陸上と、

各面からの特別攻撃に日本最後の国防戦力として奮戦し、不滅の功績を残せり。

而してその戦没殉国者の数、甲飛予科練出身者六千数百名中、一千五名を数う。

まさに甲飛予科連のうち、最大の英霊たり。

 

修験発祥大峯山の麓、奈良県吉野郡天川村洞川の清流にありし青石を採石し、

神武建国の地畝傍の森、橿原神宮の聖域に、永遠の世界平和を念じつつ、

散華せし戦友の氏名を録し、英魂の万古に安らかならんことを祈念しつつ、

十三期生存者一同これを建つ。

 

昭和四十八年十一月十八日    松谷清逸謹書

 

  

第十三期海軍甲種飛行予科練習生 殉國之碑

 

  

殉国者遺名録                       碑文石

 

  

雄飛

 

関西甲飛十三期会 殉國之碑

更新日:2006/11/04