甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会
関西甲飛十三期会 公認ホームページ
甲飛十三期殉國之碑記念公園 若桜友苑
若桜友苑 殉國之碑発願
殉國之碑の発願と建立
昭和48年 1月13日、浜松・舘山寺温泉において関東・東海・関西・中国・四国・九州地区から第十三期海軍
甲種飛行予科練習生(以下、甲飛十三期)の有志73名による、初の東西交流の年始会・第一回甲飛13期全
国大会が開催され、その席上、生存者の手で散華した同期生の慰霊祭を行おうと全員の意見が一致した。
同年4月、「慰霊塔建立及び慰霊祭趣意書」を全国の同期生に発送し、募金協力を呼びかけた結果、約一千名
近くの同期生・ご遺族・関係者・諸団体等など多くの方々から約九百数十万円もの浄財が寄せられ、慰霊費建
立の聖地は日本建国の地・橿原に決定された。
慰霊碑の建立位置について、橿原神宮の一隅に建立するのが最も理想的として世話人一同が神宮に赴き訴
えたが、「神宮の聖域に慰霊碑・記念碑等の設置は一切認可していない。例外を認めて許可するわけにはい
かない」との強い拒否を受けたが、陳情をくり返すとともに好川三郎橿原市長(当時、故人)のお力添えで長尾
宮司(当時、故人)を説き伏せ、現在の場所(池田神社の神域)への建立許可の了解を得ることが出来た。
碑石は奈良県吉野郡天川村洞川の上流奥地から採掘し、同地所在の同期生の協力を得てようやく搬入に漕
ぎつけ、その後諸般の手順を経て同年7月29日、地鎮祭を執行し建立工事を開始、11月15日に無事竣工
を見るに至った。
同年11月18日、「第13期海軍甲種飛行練習生殉国の碑」の竣工除幕式・第一回慰霊大祭が、高松宮殿下
のご臨席を得て厳かに且つ盛大に執り行われ、ご遺族200名・ご来賓100名・一般100名・同期生800名と
いう多数の参列者が碑前広場に参集し、戦禍に散った同期生1,005名の神柱に敬虔な祈りを捧げた。
このページの解説は、関西甲飛13期・原 恒生元事務局長の助言を得て作成された、故奥野敏夫
氏のHP「若桜友苑/別冊」を参考にしました。
若桜友苑の由来碑
碑文
この公園は戦没者の英霊を慰める慰霊公苑です。園内には過ぐる太平洋戦争の末期、 祖國存亡の危機に
一身を投じて当たるべく、学業半ばにして海軍飛行機搭乗員を志願し 十代の若き命を國に捧げ空に海に散
華した「第十三期海軍甲種飛行予科練習生」出身 の戦没者一千余名の英霊を祀る「甲飛十三期殉國之碑」
が建立されておりました。この 碑は戦没した友を思う全國の生存同期生から寄せられた浄財と、御遺族その
他関係者 からの御芳志により、昭和四十八年十一月この地に建立され、つゝ゛いて昭和五十三年 四月碑周
辺の環境整備を行い、花も蕾の若桜のまゝに散った友を偲ぶ若桜友苑と名づけて、慰霊公苑として開園い
たしました。
その後、昭和五十六年十月には航空母艦「瑞鶴」の戦没者を祀る「軍艦瑞鶴之碑」が同 艦生存者の「瑞鶴
会」により殉國之碑に並んで建立され、さらに平成二年四月橿原神宮 御鎮座百年大祭に協賛の記念事業
として大規模な拡張整備を遂行し、現在の姿に造成 されたものであります。この公苑が四季折々に咲く花
と共に多くの人々から愛され親しま れるとき殉國戦没者の栄光はこの地に永遠にとゝ゛められることでしょう。
平成二年四月 甲飛十三期殉國之碑保存顕彰会 軍艦瑞鶴会
更新日:2007/05/01