甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会
関西甲飛十三期会 公認ホームページ
会報「總員起こし」 第 29号/平成13年
岡田 純
奈良空−回天振武隊(伊367)−回天多聞隊(伊367)
「関西回天総会」
年も改まった一月二十三日、諸行事の狭間でひっそりと静まり且つ冷え込んだ嵐山で、平成十三年度関西回天総会が
開催された。
全国大会は平成十年回天発祥の地、大津島の慰霊祭を以って終止符を打ったが、各支部の(六地区)では今も尚活発に
行われて居り、当関西回天会 (近畿六府県) も昭和四十五年頃より息永く続けられているが、
今回は東レ嵐山寮を借り切って一泊すると云う趣向にした為か、はたまた会費が格安だった為か、
東京・東海からの参加もあって例年より参加者が多く盛会であった。
この会の特色は士官・下士官全く一体と成った階級意識のない点であらうか、思うに回天は搭乗員一人一人の技量が物を云う
点では戦闘機以上で、戦闘機には編隊空戦による相互扶助と云う面があるのに対し、回天は発進した後は全くの単独襲撃で、
頼むのは己の技量のみと云う特殊性と、訓練のスタートが全く同じであったということが、上下の関係を稀薄にした隊風を
かもしだしたのではないかと思われる。
当日の出席者の顔ぶれを記すと兵学校出身者六名、予備学出身者四名、甲十三期出身者二十三名、夫人連五名、
最高年は大正十年生まれ、最若年昭和三年生まれであった。
総会は形式張った事の好きでない松井事務局長の好リードで三十分余で終了。
直ちに霜降りも鮮やかな牛シャブでの懇親会に突入。
出撃前夜の宴を回顧し亡き戦友のありし日を偲んでときも過ぎた頃、恒例の電通OB元慶応ボーイ斉藤少尉の漫談調
閉会の辞でしめくくった。
明けて二十四日は朝食後一応解散としたが、有志約二十名は昨年十月数え九十二才で逝去された元梅宮大社宮司であった、
故橋本以行氏の慰霊の為、市内梅津の梅宮大社内自宅に赴いた。
橋本中佐は開戦時のイ号二十四潜先任将校として特潜の酒巻少尉を真珠湾に送り、回天作戦が開始されてからは
イ号五十八潜艦長として二十年一月甲十三期の特攻戦死の魁となった森・三枝両勇士を含む金剛隊をグアム島に突入させた
のを始めとして、以後神武隊・多々良隊・多聞隊と四回に亘って出撃し、回天を発進せしむること九基 (うち甲十三期搭乗五基)
にして夫々武勲を挙げさせた名艦長であった。
中でも多聞隊出撃時の七月三十日原爆をテニアン島に運んだ事で知られる米重巡インデアナポリスを自艦魚雷により撃沈した
ことは余りにも有名である。当会にも二−三回出席され、当時の実戦談をお聞かせ戴いたこともあり一同謹んでご冥福を祈った後、
社前にて記念写真を撮ってから解散した。
更新日:2007/11/03