甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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会報「總員起こし」 第8号/ 昭和53年

岡田 純

奈良空−回天振武隊(伊367)−回天多聞隊(伊367)

「回天 特別攻撃隊振武隊 出撃す」

 

二〇年五月五日、徳山湾大津島に錨泊したイ号三六七潜の上甲板には黒々と塗られた回天五基が

ドッシリと据えられて居た。

湾内を見下す搭乗員宿舎前では、今しも六艦隊長官醍醐中将来隊の下に、豊田長官下賜の短刀授

与式が行われて居る。

整列した出撃搭乗員は回天特別攻撃隊振武隊、藤田中尉・予備学十三期、吉留二飛曹・甲十三土

浦空、小野二飛曹・甲十三土浦空、千葉二飛曹・甲十三土浦空、岡田二飛曹・甲十三奈良空の五名、

何れも初陣である。

金剛隊の森、三枝に始まった同期生の出撃も、海上訓練不足と云うことで土浦空出身者が優先され、

切歯扼腕していた奈良空出身者として今日初めて小生が先陣を担ったのであった。

その栄誉と後に列ぶ奈良空同期生の期待を込めた視線を意識した時、凛烈たる思いにかられざるを

得なかった。軈て基地隊総員が整列した坂道を桟橋まで挙手の礼を以って別れを告げランチに乗艇、

母艦に向かう。

艦上で醍醐長官より訓辞があり、愈々出撃だ。司令塔には菊水のマーク、潜望鏡に非理法権天の旗

と鯉幟をなびかせて、三六七潜は静かに動き出す。両舷には別れを惜しむ全搭乗員が基地の舟艇を

動員して湾口まで帽振れの連続である。吾々は愛艇に飛び乗ってこれに応えつつ、敵轟沈の決意を

新たにしたのであった。豊後水道の南端に到って早くも潜航。

これからは夜だけ水上航走、日中は水遁の術である。菊水隊、金剛隊迄は碇泊艦襲撃であったから

自分の命日は決まっていたが、航行艦襲撃に変わった今では何時、敵と遭遇するやも判らぬので緊

張感は高いが艦内配置はないので、一日二回の発進訓練以外はやることがなく、雑誌も読み尽くし

通 路一杯に積んだ馬鈴薯、玉葱も食べ尽くしたころ、漸くサイパン・沖縄を結ぶ配備点に到着したの

であった。

三六七潜は元来、ガ島戦の戦訓に基づいて建造された輸送潜水艦である為に排水量は1,800トン

あるが水上十二節、水中三節、魚雷発射管二門で、艦自体は戦闘力ゼロに等しい。それだけに乗員

の回天に対する期待は誠に大で、種々気を使って呉れるので誠に居心地は宜しい。

例えば夜間水上航走中、エンジンの冷却によりブリキ缶半分位の蒸留水が採れるのを全量提供して

呉れた。お蔭で毎日身を清める事が出来、いつ敵に遭遇しても悔いない体勢にあった。

そんな状態が二十六日迄続いたのであるが、その間浮上した途端に敵哨戒機が頭上に飛来して慌て

てダウン十五度の急速潜航で肝を冷やしたり、又肝心な敵推進器音を聴音すること数回あったが、何

れも遠距離過ぎて発進の機会を得なかった。

その都度乗員に別れを告げて乗艇するので、「回天用具納め」で艦内に下りるのが苦痛であると共に

何か虚脱した様な日々であった。

そうこうするうちに、二十六日薄暮浮上して定時通信を受けると、司令部から「回天の有効整備期間を

超過したので直ちに帰投せよ」との命令が入った。艦長から其の旨を伝えられた吾々は此のままおめ

おめと戦友に顔を合わせられない。明日は海軍記念日でもあるし、もう一日延ばして欲しいと強硬に申

し入れた処、艦長も快諾して呉れて配備点を北に50浬移動してもう一日頑張ることになったのである。

運命の五月二十七日の朝が訪れた。日の出前に例の如く潜航に移ってそろそろ朝食と云う七時、突

如 司令塔にざわめきが起った。(吾々下士官搭乗員は司令塔直下の発令所隣りに居住していた)と同

時に 「総員配置に就け」の号令と共に、艦内ベルが鳴り響いた。そら来た。今迄数回の経験で吾々の

準備は 一分とかからない。

隊長藤田中尉もすっ飛んで来た。聴音が多数の推進器音を捕えたのである。

然も感度は感一感二と上がって行く。此度こそ本物だ、互いに見合す目と目はやるぞ!、と無言の頷

きを交わしていた。

「深さ十八」艦長の号令によって、艦は潜望鏡露頂深度に上がって行く。

「潜望鏡上げ」「潜望鏡下げ」二〜三回繰り返したあと遂に命令は下った。

「敵輸送船団発見、回天戦、魚雷戦用意」七生報国の鉢巻をしめた五人は間髪を入れず目で別れを告

げ、 乗員の激励にも無言で手を振り、愛艇へのラッタルに飛び付いて行ったのである。

 

(あとがき)

此の一時間後、千葉・小野は発進し、輸送船二隻轟沈の遺功を挙げたが、藤田・吉留・岡田の三名は司

令部の杞憂の如く故障により発進叶わず帰投し、後日多聞隊で再起したが会敵せず、終戦の八月十五

日大津島に再び帰った。

今は亡き友、小野・千葉、発進の模様を次の機会があれば記したいと思う。

 

  

昭和20年 5月 5日 回天特別攻撃隊振武隊 出撃の日/大津島

醍醐長官より短刀を授与される岡田二飛曹        醍醐長官と決別の握手を交わす/伊367潜

 

平成16年11月14日 大津島にて

 

岡田  純

更新日:2007/10/12