甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

関西甲飛十三期会 公認ホームページ

 

第十三期甲種海軍飛行予科練習生 揺籃の地

松山海軍航空隊

 

松山海軍航空隊 略史

昭和18年10月 1日 開隊

昭和18年10月 1日 甲飛十三期(前期)、入隊

昭和18年12月 1日 甲飛十三期(後期)、入隊

昭和19年 3月12日 甲飛十三期(前期)偵察専修者、宇和島分遣隊へ転隊

昭和19年 5月15日 甲飛十三期(前期)、予科練教程を卒業、飛練教程へ進む

昭和19年 7月 1日 甲飛十三期(後期)操縦専修者、福岡航空隊へ転隊

昭和19年 9月 1日 甲飛十三期(後期)、予科練教程を卒業、飛練教程へ進む

 

宇和島海軍航空隊 略史

昭和19年 3月15日 甲飛十三期(前期)偵察専修者、松山航空隊から転隊

昭和19年 5月  日 甲飛十三期(前期)、予科練教程を卒業、飛練教程へ進む

 

福岡海軍航空隊 略史

昭和19年 7月 1日 甲飛十三期(後期)操縦専修者、松山航空隊から転隊

昭和19年 7月25日 甲飛十三期(前期)、予科練教程を卒業、飛練教程へ進む

 

松山空港入口

愛媛県松山市

松山海軍航空隊跡の碑

碑文

茲は松山海軍航空隊跡地なり 大東亜戦争中この地に海軍飛行予科練習生あり 搭乗員たらん

として日夜厳しき教育と訓練に耐へ 必勝の信念を以て敵に当らんとこの門を出ず

時に戦雲愈々急を告げ 米軍の侵攻本土決戦の様相を呈す

遂に隊員尽く一死以て国に報いんと ある者は特攻隊員に ある者は沿岸防備要員と 隊を去り

国難に殉ぜんとす

終戦、幾星霜 往時の姿すでに無しとは言へ この地、松山海軍航空隊は我等予科練の夢の跡也

以て隊跡碑を建立す

 

金毘羅神社前

愛媛県松山市

  

松山海軍航空隊跡の碑

碑文

風雲急を告ぐる昭和十八年十月 この吉田浜の地に松山海軍航空隊が開隊され 熾烈を極める

太平洋戦争下 祖国日本の存亡の危機防衛の赤心に燃ゆる若人を集め 消耗著しき航空戦力の

急速補充のため 航空機搭乗員養成の猛訓練が行はれた 

終戦に至る約二年の短い期間に 海軍甲種飛行予科練習生 十三期 十四期 十五期 十六期

海軍乙種飛行予科練習生 二十四期 その数延べ約15,000名を練成した この地を巣立った

若鷲達は 或は大空より 或は水中より はた又水上より 敵艦船に必死の攻撃をかけ 尽忠の

誠を捧げ 悠久の大義に多くの若桜が散華して行った 然るに昭和二十年八月 武運拙く終戦の

日を迎えた生存者達は 戦友の死を無にすることなく平和日本の再建を目指し この地で培はれ

た予科練魂を忘るる事なく 戦後の幾多の困難を克服し 祖国復興に努めてきた 戦後既に四十

年を閲し 若くして散って行った同期の友の御霊の安からん事を祈り 曾てこの地に存在した松山

海軍航空隊の歴史を後世に伝へ その史跡をここに留めるものである

昭和六十年十一月三日  旧松山海軍航空隊出身 海軍飛行予科練習生一同

 

南吉田地区

愛媛県松山市

    

掩体壕@

 

  

掩体壕A

 

臨海地区

愛媛県松山市

コンクリート壕

 

関西甲飛十三期会 殉國之碑

更新日:2006/03/30