海軍兵学校第七十三期 英霊譜

戦後

 

昭和20年 8月18日

  国府田 昴

  一三一空

  終戦直前、関東地区東方に来襲した米機動部隊への攻撃後、海岸に不時着して戦傷

  18日に横須賀海軍病院にて戦死

 

 

 

昭和20年 8月19日

  北村  素之

  蛟龍大浦突撃隊

  終戦翌日、基地は異様な熱気に満ち、和戦両様の備えを固めるため出撃準備を急いだ

  北村艇は佐伯に向け出撃、伊予灘にて推進器の主電動器に火災を起こすも消化に成功

  しかし不完全燃焼ガスが漏洩して窒息、公務死

 

 

昭和20年 8月22日

  小貫  四郎

  筑波空

  終戦処理業務のため「紫電」に搭乗し福知山基地を発進する時、 

  失速状態に陥り落下し背面で滑走路を数十メートル滑走し殉職

 

 

 

昭和20年10月13日

  松島  貞雄

  二一〇空

  陸軍少尉の兄が終戦時に上野の山に立てこもり徹底抗戦の構えをとった責任を取って自決、

  本人はその葬儀が行われた頃に復員、一ヶ月もの間悶々と苦悩、

  自宅玄関でピストルで頭部を撃ち自決

 

 

昭和20年10月17日

  山田  豊

  駆逐艦「菫」

  岩国海軍病院にて病死

  死亡の当日朝、海軍中尉の制服を着て端座し遥かに皇居を拝し、

  天皇陛下に病弱故のお詫びを申し述べたという

 

 

昭和20年11月16日

  芥川  英郎

  海防艦「大東」

  機雷の掃海作業中、対馬海峡東水道にて艦体が触雷して大破沈没、

  艦と運命を共にし殉職

 

 

 

昭和21年10月 8日

  田実  春夫

  伊号第四七潜水艦

  回天特別攻撃隊「多聞隊」の搭載母艦として出撃、終戦後に呉へ帰投、

  憔悴が激しく早々に呉海軍病院へ入院したが、医師でもあるご尊父に看取られ死去

 

 

 

昭和23年  2月25日

  青柳   修

  駆逐艦「蔦」に乗組

  昭和 19年11月、「蔦」沈没時に重油を飲んだ後遺症で永く療養生活、病死

 

 

 

 

海兵73期

更新日:2006/03/25