海軍兵学校第七十三期 英霊譜( 航空)

昭和20年 6月 1日〜 7月30日

 

昭和20年 6月 1日

  加茂  良夫

  筑波空

  筑波基地から香取基地へ「紫電」を空輸するため、ミストの濃い悪天候をついて離陸

  途中視界不良のため霞ヶ浦北方の山中に衝突し殉職

 

 

 

昭和20年 6月 2日

  廣田  優男

  九〇三空

  「敵潜水艦、津軽海峡に潜入」の情報を受け零式水上偵察機にて索敵のため単機出撃

  数時間後、天候悪化・視界不良により基地に「攻撃中止」を発令し帰途についた

  基地目前にてバランスを失い松林の中に不時着し戦死

 

 

昭和20年 6月 6日

  山岡  照海

  七六二空

  「銀河」に乗り組み美保基地から大分基地に向かう途中、

  エンジン不調により愛媛県柳谷村上空で殉職

 

 

 

昭和20年 6月 9日

  田中  正

  一三一空

  南西諸島方面にて戦死

  同期生追悼歌

  国の為散りし友がら慰むる すべなく年へ吾は老ひ行く

  山みれば古鷹の尾根思ひ出づ 汗にまみれし友の顔とも

 

昭和20年 6月17日

  清水  晃

  二五二空

  茂原基地からでB29邀撃のため零戦で出撃、関東東方海域にて戦死

 

 

 

 

昭和20年 6月20日

  久原  高明

  九三一空

  南西諸島方面にて戦死

 

 

 

 

昭和20年 6月22日

  菅野  尚

  二一〇空

  B24の索敵攻撃に出撃し伊良湖岬南方海面にて交戦

  敵の一弾が増槽に命中し火を吹いたまま射撃を止めることなく海上に落下、戦死

 

 

 

昭和20年 6月23日

  榎本  修三

  六〇一空

  敵機空襲の迎撃に出撃、P51と交戦し被弾のため戦死

 

 

 

 

  壺倉  辰夫

  二〇三空

  「敵機来襲」の報に出撃しB29一機を撃墜し基地へ帰投

  「P51房総半島北上」の報に再出撃、

  敵機を索して密雲に突っ込み香取基地へ真直ぐに自爆

 

 

昭和20年 6月26日

  中塚  眞言

  七六二空

  南西諸島方面

  ご母堂ご詠句

  あきらめてまたあきらめる夜半の虫

  吾子待ちて落葉に目覚む幾夜かな

 

昭和20年 6月28日

  肥田野 清

  二一〇空

  明治基地にて編隊空戦訓練の終了後、編隊集合しながら基地に向かっていた時に、

  三番機に接触されて墜落。

  落下傘降下したが空気をはらまず、地面に静かに横たわるように死んでいた

 

 

昭和20年 7月10日

  嶋田  孝

  三三二空

  「P51の大編隊接近」の報に離陸、超低空で明石上空にさしかかった時、

  上空にP51四機が降下、不利な状態から機首を敵に向け反撃に出たが、

  会敵時の不利は如何ともし難く戦死

 

 

昭和20年 7月21日

  天野  重信

  七〇六空

  宮城県矢本基地にて戦死

  ご令兄ご詠歌

  一筋に国のためとて散り行きし 汝が面影に涙するわれ

  朝夕に合掌しては念ふなり せめてわが子を君に似せよと

 

昭和20年 7月28日

  風木  榮一

  八〇一空

  大和基地から索敵に出撃、未帰還

  四国南方海域にて戦死せるものと認定

 

 

 

  島津  裕

  七五二空

  木更津基地から索敵に出撃、未帰還

 

 

 

 

昭和20年 7月30日

  和田  博行

  一七一空

  擬似赤痢の診断で鹿屋戦闘治療所に入室中、

  一機のグラマンが屋根の赤十字も明らかな治療所にロケット爆弾を投下、

  入室中の部屋の天井で爆発し戦死

 

 

  青柳  光吉

  三三二空

  米艦載機による伊丹空襲のため、逃げ遅れた隊員を誘導して

  一番最後に防空壕に入るも直撃弾を受け戦死

 

 

 

海兵73期

更新日:2006/01/02