海兵七十三期 祭  文

 

逝きし戦友に捧ぐ

昭和28年 5月 3日 慰霊祭「祭文」

 

昭和28年5月3日、ここ靖国の社頭に海軍兵学校第73期荒木道夫君以下

296柱の御霊をお迎えし、慰霊祭を執り行うに当って、級友一同謹んで

哀悼の詞を捧げます。

 

時あたかも初夏、櫻花はすでに散りましたが、樹々は新緑に粧われ、南風

は爽やかに薫り、豊かな陽ざしは輝き溢れて、参道の玉砂利に清潔な影を

落としています。

皆さん、碧空を雄渾に踊る懐かしい鯉登りの姿が見えますか。今日このと

きを、皆さんはどんなにか待たれたことでしょう。今皆さんの前には、御

両親、御兄弟、そして級友一同が全国から集い参列のできなかった方々も、

遠く山河を隔てて想いをここに馳せております。

 

顧れば、拝謁のため宮城前に集まったのが、私たちの相見える最後となり

ました。私たちは堅く再会を誓い、北に南に或いは海に空にとそれぞれの

任地に向けて別れていったのであります。思えばあれから永い月日が流れ

去りました。九年の星霜をへて、私たちは約束通りにここに再会の日を迎

え、往時を偲び、今はもはや見ることのない皆さんの笑顔や聞く由もない

声を想うとき、万感胸に迫り暗涙にむせぶばかりであります。御両親、御

兄弟の御嘆きはまたいかばかりでありましょう。

 

松並木を埋める帽子の波に送られて、表桟橋を出発するとき、私たちは再

び生きて還らじと心に固く決めておりました。また、人間生別は天意の定

めるところともいいます。しかし、それが何の慰めになりましょう。肩を

叩き手を振って哄笑するかつての皆さんの面影は、今も私たちの眼底にあ

りありと生きて、哀惜の念いよいよ絶えがたく、ものにとも知れぬ悲憤に

五体も裂けるばかりの想いであります。

大講堂で共に海軍兵学校生徒を命ぜられたあの日の感激と抱負のなかに、

私たちの終生の交わりが始まりました。無我夢中ですごした一週間目に、

祖国は運命の大戦に突入しました。戦は日に熾烈となり、私たちの訓練も

またいよいよ激しく来るべき日を期して精魂を傾けました。同じ生徒館に

江田内に、共に学び鍛えた日は僅か二年有余にすぎませんでしたが、寝食

を共にし、喜びも苦しみも分かち堪えてきた私たちの心は、ますます深く

強く結ばれてゆきました。卒業を間近に控えた未明、松明をかざして古鷹

山頂に集ったクラス会、あのとき私たちの縁は、もはや何ものも断つこと

のできないものとなっていたのであります。

 

わが拠点は次々と喪われ、戦局はすでに暗澹とした十九年三月、私たちは

祖国と海軍の興望を一身ににない、勇躍前線に赴いたのです。勝ち戦に処

するは易い、若年の身よく部下を掌握し苦難に挺身した皆さんの不敵の闘

魂は想像を絶するものでありました。皆さんはいかなる試練にも堪えて屈

することなく、その重責を完うし、ついにはすべてを祖国に捧げられつく

されたのであります。

その奮戦の有様は私たちの間に語りつたえられ、その輝かしい勲しは、私

たちの心を鞭うち切歯感奮させたのであります。私たちが戦場にあったの

は一年有半にすぎませんでしたが、その短い間に、皆さんの怒涛の涯、雲

嶺の涯に次々と散華されてしまったのです。

 

皆さんの祖国を憂え同胞を愛する至情、身命を賭しての死闘も及ばず、

戦は敗れました。鉾を収め焼土と化した故国に帰ったとき、私たちはか

くも多くの友を喪っていたのであります。

皆さんが尊い生命を捧げて護られた祖国は敗れ、私たちを育んだ海軍は

消え去りました。荒廃した祖国の姿を前にして、皆さんはさぞや憤慨し

悲嘆されたことでしょう。

しかし、戦敗れたりとはいえ、祖国は滅びたのではありません。皆さん

の至誠は、私たちのみならず、国民の血潮の中に生き、必ずや祖国をし

て有史以来のこの苦難に堪えしめ、混迷のうちから力強く立ち上がらし

めることを確信しております。

実に祖国の再起は、残った私たちの双肩にかかっております。然し乍ら

この八年皆さんの前に報告できる何事をなしたであろうか。今、ここに

皆さんの至誠にふれて深く自らを責め、新しき勇気と決意に身の震う思

いがいたします。

 

再び還れない祖国へ叫ぶ切々たる声を胸に聞き、皆さんの悲しみをお慰

めできないことを知り乍らも、ただひたすらに頭を垂れ、御冥福を祈る

ばかりであります。

 

海軍兵学校第七十三期級友一同

 

海兵73期

更新日:2003/03/07