三枝 直

海軍少尉 正八位 勲六等 功四級

 

  

三枝 直海軍少尉                       金剛隊(伊58)出撃記念写真          

.                左上:小灘利春海軍中尉(現:全国回天会々長)、 右下:共に出撃した森  稔海軍二飛曹(当時)

 

略歴

大正15年 8月10日  山梨県東八代郡一宮町出身

昭和18年12月  日  甲種海軍飛行予科練習生(甲飛十三期)

昭和19年12月30日  回天特別攻撃隊・金剛隊(伊58潜)として出撃

昭和20年 1月12日  グアム島アブラ港付近の海域にて散華(享年18才)

 

遺言

父上母上

軍人の生涯は之死の修養にて候へば、期に臨み殊更に遺すべき事も候はず唯々、日頃の不孝と、

御無沙汰をお詫び申すのみにて候。君の為、国の為、命を致すは人の子の道なりとは父上母上の常

に諭されし所、只今此の御教訓の万一にもお応ゑ奉るの期を得たるは、唯一の孝の道にやと喜びに

堪え申さず候、惟ふに古来人多けれど、真の死場所を得たる人は、余り聞き及び申さず候。

然るに私ここに願ふとも叶うまじき、千載一遇の好機を得たるは、之偏に御祖先の有難き取図らいな

らむと、唯々感謝致居る次第にて候。

私この度立派に相果て申す事を得ば、私を只今の私たらしめて下されし方々に対し、万一の報恩の

緒にもつきなむと、満足至極にて候、男と生れ国に報ゆるの務を尽し得るは又男子の本懐にて候へ

ば弟をも、私の後に続かせ下され度候、三枝一族、国に殉ぜんこと私の本意にして、又兄弟の誓約

にて候。

兄上に、直は立派にお約束相果し申し候旨御伝言下され度候 終りに只管今迄の不忠不孝をお詫

び申し候。

昭和拾九年拾弐月弐拾九日    三枝 直

父上様・母上様

 

辞世

南みのおおわだつみにつ続くなる すめらみいくさにわれは出でなむ

天翔ける鳥は屍を残さじと 航空兵の母はなげかず

すめぐにの仇砕かずは何を為し 何を学ばむやと男の子は

 

 

市之蔵共同墓地

山梨県東八代郡一宮町

個人墓:平和観音

 

  

平和観音

 

墓誌

 

法名

神潮院殿金剛誠忠直心大居士

 

碑文

平和観音建立の由来

此の平和観音は之地に眠る 太平洋戦争で壮烈鬼神哭く特攻戦死を遂げた 三枝 直海軍少尉の霊を

慰める為に建立した

昭和十八年秋晴の或日 旧制山梨県立甲府中学の校庭に五年一組全員が集合した これは組長Aと副

組長の三枝とが 日毎に悪化する太平洋戦争に如何に対処するか討議する為であった 若い血潮に議

論百出して纏まりがつかない 此時三枝副長が除ろに云出した

「係る未曾有の国難に我々学徒が命を惜むなら日本は滅亡する 軽い学生の命一つで万民を守護し得

るは男子の本懐である 俺は往く 真の平和を願う道はこれしか無い」と主張したが A組長は真向から

反対し激論を闘したのみに終った 其の年十二月不言実行の三枝は意を決し甲種飛行予科練習生を

志願した 血書を認め神潮攻撃隊金剛隊に加えられ 昭和二十年一月十一日 敵の南太平洋前進基

地グアム島アブラ港に突入 必死必中の体当り攻撃を敢行 空母始め多数艦船を撃沈し 此偉功は感

状上聞に達し特□を以て四階級特進 任海軍少尉正八位勲六等に叙し 功四級金鵄勲章を賜る

此時三枝少尉は齢僅かに満十八才六ヶ月 蕾も固く香高く若桜は莞爾として皇国の大義に殉じた

天高くして語らず 地深くして誇らず 茲に三十三年 冀くは英魂永遠に此像に在りて 大和島根を守護

し給わん事を

昭和五十四年三月十八日

父 三枝一止 誌

 

回天特攻隊

更新日:2008/06/28