松尾秀輔

海軍中尉

略歴

大正14年 5月31日 台湾出身(本籍地:和歌山県)

昭和20年 3月30日 海軍兵学校卒業(74期)、命第二特攻戦隊付回天搭乗員

昭和20年 31日 第二特攻戦隊光突撃隊大津島分遣隊着任

昭和20年  1日 同 大神突撃隊転属兼・甲板士官

昭和20年 8月15日 大東亜戦争終戦

昭和20年 8月25日 大神基地にて自決(享年22歳)、没後、任海軍中尉

 

 

 

 

 

悲哭

松尾少尉は、大神突撃対練兵場中央部で故郷台湾に向かって正座し、左胸に手榴弾を抱いて自決した。

日頃、忠誠無私の言動に終始していた軍人達が、ひとたび終戦の詔勅くだれば、たちまち太平を開き矛を収めて

帰郷の準備に取り掛かっている。この姿は松尾少尉の目に奇異に映ったに違いない。そして彼なりの殉国の精神

から、尊い生命を自ら断ったのではないだろうか。

 

「帝國海軍の根幹たるべき将校は、すべからく大元帥陛下に対して敗戦の責任を痛感し、死をもってこれに報いる

のが至当だ。大西中将も割腹して範を示されたではないか。永らえて日本再建に献身するなどとは、己の生への

執着を正当化しようとする欺瞞的言辞にすぎない」

 

下士官搭乗員宛の遺書

       一、絶対漫然たる休暇気分にて帰郷せざること。

          敗戦は俺達軍人の責任たるに思ひを致し、その責を負ふべし。

 

       二、図太く明朗に 時局は貴様達の想像以上に変化すれども、常に明朗に頑張れ。

 

       三、仲良く互ひに連絡を密にして、今の気持を忘れざること。              

 

       四、マイナス戦力たらざる如く心掛くべし。緊張が弛みマイナス戦力とならば、速かに正すべし。

 

       五、酒と女とは絶対に謹め。娑婆では禁酒をやる位の覚悟で掛かれ。        

 

小灘利春 全国回天会前会長の記録より

故・松尾秀輔中尉

 

回天特攻隊    世紀の自決

更新日:2008/11/24