川久保輝夫

海軍少佐

略歴

大正12年 9月22日 鹿児島県鹿児島市出身

昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃

昭和18年 9月15日 海軍兵学校卒業(72期)

 

昭和19年 9月 6日 第一特別基地隊大津島基地着任

昭和19年12月21日 金剛隊として出撃(伊47、大津島)

昭和20年 1月12日 ニューギニア北岸・ホーランディアで特攻、戦死(享年21歳)

 

 

 

 

 

回天金剛隊の歌/川久保輝夫作詞

 

沖ノ島過ぎ祖国を離れ 敵を索めて浪万里 空母戦艦唯一撃と 今ぞ征で立つ金剛隊

流れも清き湊川の 旗の光をいま承けて 先に征きたる菊水隊の 挙げし戦果に続かばや

 

聖戦も四年の春を 南の海に迎えつつ 必勝のとき今来れりと 先づ魁けん金剛隊

若き血は湧き肉踊るかな 挺身必殺醜敵を 砕き沈めて千代八千代にも すめらみくにを

 

金剛隊 出撃記念写真(後列中央)

 

御尊父ご詠歌

子等はみな 国に捧げて 秋の空

 

次男 尚忠(海兵59期)

水上機母艦「神威」飛行隊長、海軍少佐

昭和13年 5月16日 南支厦門上空で敵機と交戦、戦死         

 

三男 三郎(海兵67期)

呂117潜水雷長、海軍少佐

昭和19年 7月12日 あ号作戦に参加、サイパンにて戦死        

 

四男 志郎(海兵69期)

厚木空艦攻隊長、海軍少佐

昭和19年 4月30日 トラック諸島に進出し敵機動部隊への攻撃にて戦死  

 

五男 輝夫(海兵72期)

「回天」金剛隊、海軍少佐

昭和20年 1月12日 ニューギニア北岸・ホーランディアで特攻、戦死  

 

御母堂 静

昭和19年 9月14日 四男:志郎、三男:三郎を相次いで失った心労から病没

 

御尊父 二之介

陸軍大佐

昭和22年 9月 2日 ご逝去

 

草牟田墓地

鹿児島県鹿児島市

川久保少佐 墓碑

 

鹿児島縣護國神社

鹿児島県鹿児島市

神州不滅を信じつつ母校山下国民学校児童と厳父に対し書きしたため

伊47潜・折田艦長に託した遺書

 

回天特攻隊

更新日:2012/09/01