山田湾基地
岩手県下閉伊郡山田町
山田湾
山田湾の海軍基地
1.女川防備隊 .
2.横須賀鎮守府 横鎮海面防備隊 .
3.北三陸部隊 .
4.第903海軍航空隊山田湾基地派遣隊
北三陸部隊
昭和18年、山田湾を基地として設置された掃海艇部隊。輸送船の護衛と沿岸警備を主任務としていた。
昭和19年6月18日
. 0700 北三陸部隊の特設監視艇「宮丸」が、物見崎南西10キロに南方へ幅100m・長さ2kmの油帯を発見。
. 0830 大湊空の水偵が現場に到着し、対潜爆弾3発を投下。
. 0849 「宮丸」が爆雷を投下。
. 1100 水偵が幅10メートル、長さ200メートルの油の流出を確認。
. 1300 「宮丸」が再度爆雷を投下。この攻撃で直径2メートルの気泡が上がり、油が湧出してきた。
. 1550 応援に来た特設駆潜艇「文山丸」が爆雷を投下。
. 2010 幅100メートルにわたり油が広がってきた。「文山丸」「宮丸」が投下した爆雷は18個。
. 【戦果】 撃沈:潜水艦1隻 水偵/特設監視艇「宮丸」/特設駆潜艇「文山丸」
. 《米軍記録》喪失:潜水艦「ゴレット」(艦長:J・S・クラーク中佐以下82名全員が戦死)
昭和20年8月9日
海軍山田湾基地の第一掃海艇ほか新東北丸・第六号特別掃海艇、艦載機の機銃掃射により擱座、三船の乗組員
40数名が戦死、北三陸部隊はこの日をもって壊滅した。
関谷橋袂
北三陸部隊第一号掃海艇 鎮魂之碑 北三陸部隊所属艦 慰霊之碑
鎮魂之碑 碑文
昭和二十年八月九日 大東亜戦役山田湾に散る戦友 此の地に眠る
慰霊之碑 碑文
昭和十八年四月下旬より同二十年八月十五日まで山田港を基地として警備輸送の任に当たる
左の木柱は、北三陸部隊に戦死者がでると川原で荼毘に付され、細かい遺骨が多数拾い残されている状況に心を
痛めた地元の住民が、戦後になって掘り起こし埋葬した時に建てたものであるとの事。
第903海軍航空隊 山田湾基地派遣隊
昭和18年、館山海軍航空隊山田分遣隊が前身で、後に第903海軍航空隊山田基地派遣隊に改称された。
青森県八戸から宮城県金華山までの沿岸において、米潜水艦に対する索敵・哨戒を主任務としていた。
大沢漁港
水上機スリップ
水上機スリップ
浜川目石油貯蔵基地
. 石油貯蔵基地の正門 南方産油国から原油が輸送されて来た基地前の海
略史
昭和17年秋頃、南方の産油国から船で輸送されてくる原油を陸揚げする桟橋が完成し、ドラム缶の数は多い時
には32,000本も有ったらしい。
昭和19年夏には貯蔵タンク4基が完成し2基が建設中だったが、戦況の悪化に伴い貯蔵基地を南方に移設する
目的で解体された。
南陽禅寺
新生丸戦没慰霊碑
碑文
捕鯨船新生丸は第二次世界大戦のさなか食糧増産と鯨油資源確保の為 あらゆる危険を冒して出漁した。たまたま
昭和二十年六月二十三日未明 トドヶ崎南東十五浬付近に於いて操業中 米国潜水艦の襲撃を受け応戦もむなしく
撃沈された。
軍属船員としての乗組員七名はわかせ身を顧みずその任に励み 遂に船と運命を共にして戦死した。
今謹んで当時を偲び霊を慰める為この碑を建てその冥福を祈るものである。
昭和三十六年九月 柳原勝紀撰
更新日:2009/10/01