沖縄の人々

 

嶋田 叡

沖縄県知事

大正14年、内務省に入り、佐賀県書記官、警察等を歴任。昭和20年、沖縄戦前に離県した前任知事

泉守紀の後を受けて、沖縄県知事に就任し軍と共に沖縄戦に参戦、沖縄南部の激戦地で消息を絶っ

た。遺骨は発見されていない。

死を覚悟して県知事となり、疎開と食糧確保に尽力、沖縄戦下の国民の犠牲を最小限にくいとめよう

とした努力は高く評価され、昭和51年に島民により摩文仁岳に「島守の塔」が建立された。

 

野田貞雄

教育者・ひめゆり部隊編成者

熊本県出身。東京高師同専攻科卒業後、京都・岡山の高等女学校教授、岡山県視学官・茨城女校長

を経て、昭和18年沖縄師範学校長となる。

昭和20年3月米軍が沖縄に上陸するや、職員生徒により鉄血勤星隊(男子) ・ひめゆり部隊(女子)

を編成し、軍の作戦に従う。沖縄敗戦を迎える 6月19日残った職員生徒を集めて、その労をねぎらい、

死を急がず生き永らえよと論じ、翌20日米軍の猛烈な艦砲射撃を受け戦死した。享年53歳。

明朗、豪放、且つ温情溢れる性格は生徒からの慈父と仰がれ、教育者の鑑として文部大臣の表彰を

受け、健児の塔・ひめゆりの塔に祀られる。

 

多磨霊園

東京都府中市

取材協力:小村大樹氏(小野田石材店勤務、多磨霊園著名人研究家)

嶋田 叡 墓碑

 

野田貞雄 墓碑

 

本土決戦

更新日:2011/12/03