引揚船 興安丸

 

舞鶴へ入港する興安丸

 

船歴

昭和11年 3月14日 三菱重工業樺キ崎造船所で起工

昭和11年10月 2日 同造船所で進水、鉄道省所有

昭和12年 1月31日 関釜連絡船として就航

昭和20年 4月 1日 山口県蓋井付近で触雷、航行不能

昭和20年 8月31日 引揚船に指定され博多・仙崎−釜山間を往復

               往航は在日韓国人の帰国輸送、復航は日本人の引揚輸送に従事

昭和25年 3月18日 朝鮮郵船(後の東京郵船)に払下げ

昭和25年 8月  日 朝鮮動乱により国連軍に傭船され兵士や傷病兵を輸送

昭和28年 3月23日 中国引揚再開、帰国第一船として舞鶴入港

昭和28年11月30日 ソ連引揚再開、帰国第一船として舞鶴入港

昭和31年12月26日 シベリヤ抑留者の最終梯団を乗せて舞鶴入港

昭和32年 8月  日 東洋郵船に譲渡、東京湾周遊船として人気を博す

昭和35年  月  日 ベトナム引揚に従事

昭和45年10月  日 広島県三原市木原町沖にて解体

 

平引揚桟橋

京都府舞鶴市

まぶたの桟橋舞鶴よ 歌碑(背景写真は引揚船・興安丸

 

舞鶴引揚記念館

京都府舞鶴市

  

興安丸模型                                   興安丸時鐘

 

三原港 内港東公園

広島県三原市

  

興安丸の錨

 

下関港

山口県下関市

興安丸の錨

 

抑留者引揚

更新日:2009/01/18