佐伯海軍航空隊

 

昭和9年、佐伯海軍航空隊が開隊、日中戦争では佐伯基地から派遣された部隊が南京・重慶等の主要都市を爆撃した。

 

昭和15年に入る頃、佐伯市湾岸はハワイ真珠湾に形状が似ていた事から、この地一帯で大規模な演習が繰り返された。

真珠湾攻撃の時には、択捉島の単冠湾に向けて佐伯湾からも艦船部隊が出撃した。

 

昭和20年 3月18日、米軍による初めての佐伯市空襲が行われ、以降8月14日に至るまで計6度に渡り空襲を受け、

なかでも4月26日の空襲は凄惨を極め、共同防空壕の一つに直撃弾が落下し多くの市民が犠牲になった。

 

基地遺構

大分県佐伯市

濃霞山から基地跡俯瞰

 

佐伯海軍航空隊 本部庁舎(現在、海上自衛隊佐伯分遣隊)

 

東浜橋 …橋脚と橋桁は当時のまま残っている

 

興人 佐伯工場

掩体壕

 

  

掩体壕                                     コンクリート壕

 

濃霞山

  

隊門                                      コンクリート壕

 

長島山

  

コンクリート壕

 

佐伯市平和祈念館やわらぎ

連合艦隊機動部隊 真珠湾攻撃発進之地

 

  

友好のネムの木 …真珠湾攻撃に応戦した退役軍人たちと 佐伯市民との今後の友好を祈って

 

  

友好の桜 …海原会・パールハーバー会・佐伯市民

 

布哇真珠湾

更新日:2008/01/14