満蒙開拓

興亜拓殖訓練道場

 

昭和6年の満州事変・昭和7年の満州国成立に伴い、満州へ開拓民を送出するという国家政策のもと、

大阪市では昭和16年3月10日に興亜拓殖訓練道場を設置。

 

訓練要目

@教学訓練:国体観念の注入・満蒙の人文・海外事情

A尚武訓練:武道・軍事教練・行軍・馬術・水練など 

B農事訓練:開墾・土木・植林・家畜飼育        

Cその他                           

 

ここから大陸に向かった開拓民は、終戦直前までに50万人を超えたと言われている。

 

略史

昭和16年 3月  大阪市興亜拓殖訓練道場 開設               

昭和20年 9月  大阪市立農事練習                       .

昭和25年 4月  大阪市立大学に移管、研究施設理工学部附属植物園  

昭和34年 4月  大阪市立大学理学部附属植物園              

平成 6年 3月  興亜拓殖訓練道場の旧講堂・事務所が老朽化のため撤去

  

大阪市立大学理学部付属植物園

大阪府交野市

興亜拓殖訓練道場 講堂跡

 

事務所跡

 

※現在、石段が興亜拓殖訓練道場の唯一の遺構

 

満蒙開拓団

更新日:2011/02/24