世紀の鳥人 飯沼正明

民間飛行士

 

略歴

大正 1年 8月 2日 長野県南安曇郡豊科町 出身

昭和  年  月  日 逓信省委託操縦生試験に合格

昭和 7年  月  日 所沢陸軍飛行学校卒業、朝日新聞社入社

昭和 9年  月  日 大阪−北京間、2,000キロの訪問飛行に成功

昭和10年  月  日 東京−台北間、2,510キロを10時間31分で飛行

           次々に海外航空路を開く

昭和12年  月  日 純国産機「神風」号の操縦士に選ばれる

昭和12年 4月 1日 神風号 羽田飛行場にて出発式

昭和12年 4月 2日 神風号 立川陸軍飛行場を出発

           沖縄方面の天候不順により引き返す

昭和12年 4月 6日 神風号 立川陸軍飛行場を再出発

昭和12年 4月 6日 神風号 台北に到着

昭和12年 4月 6日 神風号 ハノイに到着

昭和12年 4月 7日 神風号 カルカッタに到着

昭和12年 4月 7日 神風号 カラチに到着

昭和12年 4月 8日 神風号 バクダッドに到着

昭和12年 4月 9日 神風号 アテネに到着

昭和12年 4月 9日 神風号 ローマに到着

昭和12年 4月 9日 神風号 パリに到着

昭和12年 4月10日 神風号 ロンドン・クロイドン飛行場に到着(現地時間9日)

           94時間17分56秒で飛行 、亜欧長距離飛行の世界新記録を樹立

昭和16年12月11日 南方作戦に従軍中、プノンペンで殉職(享年29才)

昭和17年 1月  日 軍部より烈々たる戦死として公表

 

神風号

三菱重工業・名古屋航空機製作所製作による、低翼単葉・翼長12m、機長8m・最高時速500Km/h・航続距離2400Km

の性能を持った純国産機。朝日新聞社所有。

 

  

飯沼正明飛行士と神風号

 

飯沼飛行士、塚越機関士の快挙

昭和12年 4月 6日、午前2時12分4秒、飯沼正明操縦士(当時26歳)、塚越賢爾機関士(当時38歳・群馬県)搭乗の純国産

機「神風」号が立川飛行場を出発、4月9日午後3時30分(英国時間)ロンドン・クレイドン飛行場に到着。全行程15,357Kmを

94時間17分56秒で飛行し、日本最初の航空世界新記録を樹立した。

実際の飛行時間は51時間19分23秒で、当時としては驚異的な世界記録。

飯沼飛行士は、大西洋横断飛行を成し遂げたリンドバーグと共に世界的な名パイロットとして称賛されると同時に、日本の航空技術

の名を世界に高め、日本・イギリス・フランス・ベルギー・イタリアからそれぞれ勲章が贈られている。

 

  

立川陸軍飛行場

 

    

亜欧長距離飛行中の神風号

 

飯沼飛行士の戦死

国民的英雄となり、畏くも天皇陛下の拝謁も受けられた飯沼飛行士も、開戦後は軍の指揮下におかれ、開戦三日後の昭和16年

12月11日、軍用機の空輸先プノンペンで殉職。

しかし、国民的英雄の死による国威低下を危惧した軍部は事実を隠蔽し、一ヵ月後に烈々たる戦死として公表した。

 

飯沼飛行士記念館

長野県南安曇郡豊科町

飯沼正明飛行士の生家

 

  

飯沼正明飛行士の胸像

 

  

神風号

 

閑話休題

更新日:2008/09/19